被爆から81年、当時、亡くなられた被爆者の中には、家族の元にいまだ帰れていない人がいます。
いつか家族の元へ、そう願い安置されてきたある遺骨を取材しました。

平和公園にある原爆供養塔。
ここには、名前が分かりながら未だ引き取り手のない813人の遺骨が納められています。

毎年、この時期になると、広島市の職員の手により全国の自治体へその名前が記された名簿が発送されています。
「家族の元へ帰してあげたい」遺族の手掛かりを求める納骨名簿です。

今年、その片隅に、新たに3人の名前が追加されました。
その遺骨が納められているのは。
原爆供養塔ではありません。

広島市安佐北区の教雲寺。
1576年から450年続く歴史あるお寺です。
21代目の住職藤井大樹さん。

【教雲寺・藤井大樹住職】
「どうぞ、こちらが合同墓です」

追加された名前の1人長谷川源次郎さんの遺骨は、ここに安置されていました。

【教雲寺・藤井大樹住職】
「地元の方のお話しを聞くと、原爆が落ちた8月6日当日や次の日から(人々が)こちらに来られていたと聞いた」

81年前、この寺へ原爆の被害にあった大勢の人たちが、トラックで運ばれてきました。
ひどいやけどの人たちばかりでした。
近くに住む婦人会を中心に必死の救護にあたりました。

当時を知る地元の人はほとんど亡くなりましたが、寺には証言が残されています。

【証言音声・当時寺で救護した人】
「うじをとってあげたり、体が焼けているから膿がじゅうじゅう流れる。薬もない。苦労しました」

【教雲寺・藤井大樹住職】
「30数名がお亡くなりになられたと聞いております」

臨時の火葬場で焼かれ遺骨だけが残りました。
遺族が引き取りに来た人や、名前が分からずそのまま供養した人もいる中…

【教雲寺・藤井大樹住職】
「源次郎さんのお骨はこちらにございます」

長谷川源次郎さん。
名前が分かりながら遺族が見つからず、引き取り手がいないままでした。

【教雲寺・藤井大樹住職】
「私の父、祖父、その先代からお骨を守らせて頂いている」

被爆から81年の今年、お寺に安置されている遺骨の存在を知った人が市役所に連絡をしたと言います。

【広島市原爆被害対策部調査課・上本慎治課長】
「長い年月残ったままになっているので、少しでも遺族さがしのお助けができればと載させてもらった。何かひとつでもてがかりがあれば情報をいただければ少しでも遺族の方にお返ししたい」

こうして、今年初めて納骨名簿に長谷川源次郎さんの名前が記されました。
同様に佐伯区の光禅寺に安置されてきた二人の名前も…。

【教雲寺・藤井大樹住職】
「いい方向にいけばと願う。もしかしたら親族かもとお参りに来ていただいたり何かお話しできたり、事が進めばお骨をお持ちいただいたり何かしらの進展があることは期待している」

被爆から81年の時を経て公開された名前。
遺骨は、今も家族の迎えを待ち続けています。

テレビ新広島
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