一枚の写真から街を再発見する『兵動大樹の今昔さんぽ』。
今回の舞台は、兵庫県宝塚市です。
関西の方にはおなじみ、赤ちゃんができたら腹帯をもらいに来るお寺として知られる「中山寺」からスタートです。
兵動さん自身もかつてお世話になったそうで、「うちも寄せていただいて、生まれたらお礼参りに」と懐かしそうに語ります。
そんな中山寺の参道で渡されたのは1975年(昭和50年)に宝塚市内で撮影された写真。蒸気機関車と、それを掃除する子どもたちの姿が写っています。
【兵動大樹さん】「中山寺さんと関係あらへんやん!」
写真と中山寺の関係はさておき、写真の場所は見つかるのでしょうか?
■参拝客に聞き込み!でも手がかりはゼロ
中山寺の参道には安産祈願やお礼参りの家族連れがたくさん。
幸せそうなみなさんに聞き込みますが、「分からないです」と首をかしげるばかりで、なかなか手がかりが見つかりません。
ちなみに中山寺にはエスカレーターが設置されていて、身重の方やお年寄りへの心遣いが行き届いています。
■髪の毛を引きずり上げて夫婦円満!? 安産祈願で有名になった驚きのエピソード
せっかくなので、中山寺が安産祈願の寺になった理由をお寺の方に聞いてみると、思いもよらないエピソードが飛び出しました。
平安時代末期、この一帯を治めていた源行綱の妻は信仰心が薄く「悪女」と呼ばれていたそう。
行綱は妻を戒めるため、なんと鐘を鳴らすヒモに髪の毛を結びつけて引きずり上げたというのです。
【兵動大樹さん】「むちゃくちゃ怖いやん!」
この荒療治の後、妻は改心して夫婦仲が良くなり、子どもに恵まれたのだとか。
これが中山寺と子授け・安産の縁の始まりです。
その後、子どもを授かりたい人々が鐘のヒモの一部をちぎってお守りにするようになり、ヒモがどんどん短くなってしまったため、代わりにさらしを「御鐘緒(おんかねのお)」として授けるようになったのが、現在の腹帯の原点なのだそうです。
■山門前の食堂でまさかの再会!そして写真の場所が判明
写真を見せるも、お寺の方も分からず…。
寺の山門前のお店に聞き込みに向かいます。
うどんや親子丼が美味しそうな飲食店「魚安」に入った瞬間、衝撃の一言が飛んできました。
【店員】「兵動くんやね。小・中一緒やったんやけど」
なんとお店で働いていたのは、小・中学時代の同級生!しかし兵動さん、名前がすぐに出てきません。
【兵動大樹さん】「顔は出てんねん。同い年やったら気持ち分かってもらえると思うねんけど、記憶力ってもう壊滅的になってる」
頭文字を聞いてもピンと来ず、「河原(旧姓)」と名乗られてようやく「あー!」と思い出す始末でした。
■小学校に機関車!?
思わぬ再会を果たしたところで、店長に写真を見てもらうと、なんと即答!
【店長・矢野さん】「雲雀丘ですね。雲雀丘学園小学校の機関車」
店長の矢野さんは雲雀丘学園の卒業生で、小学2年生のころに突然機関車がやってきて、上に乗って遊んだ記憶があるといいます。
雲雀丘学園は幼稚園から高校まである私立学校。
【店長・矢野さん】「雲雀丘って言ったら、お金持ちなイメージ」
■じゃんけんで決まった!? 雲雀丘花屋敷駅の名前の秘密
阪急中山観音駅から2駅、雲雀丘花屋敷駅にやってきた兵動さん。
実はこの辺りは、川西市と宝塚市の境目です。
そういった地理の背景が、駅名が長い理由になっているのだといいます。
1960年まで川西市側には「花屋敷駅」、宝塚市側には「雲雀丘駅」がありましたが、近かった2駅を統合することに。
ところが駅名をどちらの名前にするかで川西市と宝塚市の地元自治会が揉めに揉めた結果、なんと自治会長同士が「じゃんけん」で決着をつけたのです。
宝塚市側が勝ったため、「雲雀丘花屋敷」という順番になったのだとか。
■50年前のSLは今も健在!鉄道研究部が守り続ける学校のシンボル
いよいよ雲雀丘学園の校内へ。
駅直結の生徒専用改札口があり、安全に登下校できるのです。
鉄道研究部顧問の板倉宏明先生に、写真について解説してもらいます。
なんと、写真の蒸気機関車は今も校内に展示されているのだそうです。
このSL「C56 111号」は1937年(昭和12年)に製造され、1974年(昭和49年)に引退した蒸気機関車です。
1975年(昭和50年)の学園創立25周年を記念し、当時のPTA会長の尽力で鹿児島からはるばる運ばれてきたものでした。
現在は中学・高校の鉄道研究部員が定期的に掃除を担当しています。
50年前の写真では小学生が掃除していましたが、その伝統はいまも受け継がれていました。
(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」2026年6月19日放送)
