この100年で4回の噴火に見舞われた東京都の三宅島は今、火山を学びの場として活用する先進的な取り組みで注目されている。一方、長崎県でも雲仙・普賢岳の噴火で生まれた平成新山の登山道一般開放に向けた検討が始まった。
噴火に見舞われた島、観光で再生へ
三宅島は海底火山から生まれた島だ。
1983年の噴火で流れ出た溶岩は、阿古地区の住宅約400戸と小中学校の校舎に流れ込んだ。
2000年の噴火では避難指示が出され、全島民約3800人が島外での生活を余儀なくされた。
避難指示は4年半後に解除されたが、火山ガスの放出は続き、一時はガスマスクの携行が義務付けられていた。
2016年以降は火山ガスが減少。
主峰・雄山の観光利用の検討が始まった。
三宅島観光協会の谷井重夫事務局長は、「噴火前は皆さんピクニックで楽しんでいて、今どうなっているのか見たいとの要望も多かった」と語る。
三宅村役場総務課の山口寿考課長補佐も、「火口付近が立ち入り禁止区域・危険区域で緩和しなければならなかった。その中で、防災学習をする者であれば入山を認めてもいいのではないかとの方向性が見えて、規制緩和につながった」と言う。
生きた火山が誘う、防災学習の現場
雄山の条件付き開放は防災学習の枠組みで始まり、2023年から観光客を受け入れている。
2025年度は計120人以上が参加した。資格を持つ島民ガイドが同行する決まりだ。
火山ガスの量は年々減っているが、ヘルメット着用とガスマスク携行は必須だ。
中腹から上は、村の条例で立ち入りを制限。
三宅島全体が国立公園に指定され、登山道は国の許可を得て整備された。
ガイドの神戸晴行さんは、「噴火後に火山ガスの影響で植物がなくなっていた場所がやっと若い森になる段階に入ってきた」と話す。
道中に一時的に身を寄せる場として避難小屋が2カ所あり、仮に噴火活動が始まり噴石が直撃しても貫通しづらい造りで、中にいれば衝撃を和らげられるという。
入山は最長2時間、1日40人までといったルールも自治体や関係機関の話し合いで決められ、三宅村が状況に応じた登山の実施基準を定めている。
火山の力、島への愛情を感じてほしい
入山して約30分、火口に到着。
2000年の噴火口、カルデラ、現在の最高到達点775mがそこにある。
カルデラは直径約1.6km、深さ約450m、噴火後しばらくは強酸性のエメラルドグリーンの水が溜まっていたが、壁の一部が崩落し、水は流れ出たという。
地元の中学生も火山や防災を学ぶ地域学習の一環で登っている。
ガイドの万崎さんは、「三宅島は何度も噴火を繰り返して再生しているので、自然の強さやそこで暮らす人の気持ち、島への愛情なども感じてほしい」と話す。
ガイドの神戸晴行さんも、「火山がもたらす景観のすばらしさや時期によって見える植生、そして緑が上まで上がってきたとの声も聞けたので長く続けていければ」と語る。
雄山では定期的に避難訓練も行い、関係機関の連携強化を図っている。
平成新山開放、法律の壁と地元の思い
三宅島と同様、島原半島でも観光資源としての活用を期待する声が上がっている。
地元の協議会は平成新山の登山道を条件付きで一般開放できないかと小委員会を立ち上げ、2026年3月、雲仙岳火山防災協議会に上申書を提出した。
しかし、三宅島とは課題が異なる。
平成新山は約5年半の噴火活動でできた不安定な溶岩ドームの崩落のおそれや、落石の危険性がある。
さらに雲仙・普賢岳は島原半島3市にまたがるうえ、災害対策基本法に基づき警戒区域が設定されていて、検討事項は多岐にわたる。
九州大学地震火山観測研究センターの松島健特任教授は、災害対策基本法63条で立ち入り禁止をしている以上、観光目的の登山などは法律的には難しいのではと指摘しつつ、岩の崩落があるからと警戒区域は毎年延長が繰り返されているがそのままでいいのか、今後の火山防災協議会のなかで議論していくべきではないかとも述べる。
一方、地元の消防団員で大火砕流の犠牲になった山下日出雄さんの妻・睦江さんは、普賢神社のお参りなど親子で登るのが行事になっていたと当時を振り返り、「後世につないでいけるような場所になってくれたらいい」と、平成新山の新たな役割に期待を寄せる。
43人が犠牲となった雲仙・普賢岳の大火砕流から35年。
地域とともにある火山を次世代につなぐ学びの場に。
50年、100年先を見据えた検討が、今まさに始まっている。
(テレビ長崎)
