鳥取市の鳥取県立博物館がユニークなテーマの展覧会を企画、2027年秋の開催に向け準備を進めています。
その一環で、博物館はある人物の子孫を探しています。
日本の歴史に残る重大な出来事にも関わったとされる、その人物とは?
鳥取市の鳥取県立博物館。
作野俊介記者:
「人を探していると聞きましたが?」
鳥取県立博物館・大嶋陽一学芸員:
「忍者の子孫を探しています」
作野俊介記者:
「忍者の子孫ですか?」
鳥取県立博物館・大嶋陽一学芸員:
「来年の秋に忍者の企画展をやろうと思っていまして」
博物館が探しているのは、何と「忍者」の子孫。
2027年秋に開催を予定している企画展テーマは『鳥取にいた忍者』です。
作野俊介記者:
「そもそも鳥取に忍者いたんですか?」
鳥取県立博物館・大嶋陽一学芸員:
「いたんですよ。実は鳥取の忍者に詳しい人がいるんです」
三重大学研究員・凛さん:
「拙者、忍者を研究する忍者、凜でござる」
作野俊介記者:
「忍者が来ましたが」
鳥取県立博物館・大嶋陽一学芸員:
「忍者です」
三重大学研究員・凛さん:
「忍者でござる」
忍者の出で立ちで登場したのは「忍者を研究する忍者」、その名も「研究忍者」。
三重大学研究員の凛さんです。
凛さんは慶応大学卒業後、名古屋城を拠点に活動する観光PR隊「徳川家康と服部半蔵忍者隊」に加入。
その傍ら「忍者を研究するため」全国で唯一「忍者・忍術学」講座を開設している三重大学大学院に進学。
江戸時代、鳥取藩で活躍した忍者をテーマに研究しています。
作野俊介記者:
「なんで鳥取藩の忍者を研究されている?」
三重大学研究員・凛さん:
「鳥取藩には鳥取藩政史料という膨大な史料群がありまして、鳥取の忍者について研究したいなと思って研究を始め申した」
実は、鳥取県立博物館が所蔵する鳥取藩の藩政史料は1万4700点以上。
これほどの数の史料を閲覧できる施設は全国でも珍しいということで、凜さんは研究のため数か月に一度は鳥取を訪れています。
三重大学研究員・凛さん:
「鳥取藩の忍者は基本的に『御忍(おしのび)』と呼ばれており申した。忍びというとこのような黒装束を着て手裏剣うってというイメージがあるが、実際には武士、一言でいうと下級武士」
凛さんによると「御忍」と呼ばれた鳥取藩の忍者の身分は下級武士、武士と同じ出で立ちで、火の用心や藩主のお供役にあたることが多かったということですが。
三重大学研究員・凛さん:
「忍者らしいなということでいえば、情報収集」
その情報収集、実は歴史に残るあの有名な出来事に鳥取藩の「御忍」が関わっていたことが、凛さんの研究でわかりました。
三重大学研究員・凛さん:
「異国船渡来につきということで、ペリー殿の来航のときにも忍びが活躍したんじゃなと驚きがありもうした」
1853年から54年にかけて、日本の沿岸に来航したペリーの「黒船」。
鳥取藩の忍者がこの情報収集にあたっていたことが、膨大な藩政史料からわかったということです。
さらに、鳥取藩の忍者たちが当時住んでいた場所もわかっています。
三重大学研究員・凛さん:
「ここに古地図というのが残っており申して、上町のほうに『しのび衆』って書かれております」
作野俊介記者:
「御忍がいたところ、行きたいんですけどよろしいですか」
三重大学研究員・凛さん:
「出陣いたしましょう、印を組んでくださりませ」
作野俊介記者:
「鳥取市上町。着きましたね。このへんが忍びがいたという場所ですか?」
三重大学研究員・凛さん:
「さようにござり申す」
作野俊介記者:
「昔の名残はあるんですか?」
三重大学研究員・凛さん:
「例えばここにマンホールがあり申すが、古地図上だとここを一直線に水路があったとなっていて、故に今も道の下を水が通っているのがわかる。土地の名残も残っておる」
作野俊介記者:
「いまだにこういう場所があるのが感慨深いですね」
鳥取県立博物館・大嶋陽一学芸員:
「古い建物は残っていないが、江戸時代の町割りが今も残っているのが鳥取の城下町の特徴だと思う」
三重大学研究員・凛さん:
「このロマンこそが歴史の醍醐味にござり申すな。こういう風に土地に足を運ぶようになって、自分事として研究をとらえることができるようになっているので、子孫のものたちの協力もあおぎつつ、ますます鳥取の地を盛り上げていけたら」
鳥取県立博物館・大嶋陽一学芸員:
「鳥取藩のことをこれだけ深く研究してくださって、とても重要な成果が生み出されるのではないか」
三重大学研究員・凛さん:
「というわけで忍者の子孫を探しております」
「研究忍者」の活躍で徐々にベールが解かれている鳥取藩の忍者たち。
その子孫が、今の鳥取の町に潜んでいるかも知れません。