山陰では知名度ほぼゼロ…アメリカ発の新スポーツ「ピックルボール」とは

バドミントン、卓球、テニスを合わせたようなスポーツ「ピックルボール」をご存知だろうか。
アメリカを中心に世界的なブームとなっているこの競技、日本国内の競技人口はすでに約4万5000人に達しているが、山陰ではほぼゼロに等しい。

そんな状況に「島根から発信したい」と立ち上がったのが、乳がんの治療のために出身地の島根・安来市に一時帰国している女性だ。
「病気になっても、ピックルボールに救われている」と語る彼女の姿を取材した。

一度で虜に…「中毒になります」 

島根・安来市の飯梨小学校の体育館。
打球音が響く中、小学生から70代まで、年齢も様々な人々がラケットを振っていた。
「ピックルボール」の練習会だ。

ピックルボールは1965年にアメリカで誕生。
バドミントンと同じ広さのコートを使い、ネットを挟んで1対1またはペア同士で対戦する。

使うのは「パドル」と呼ばれるラケットと、穴の開いたプラスチック製ボール。
適度な運動量で安全にプレーできるため、子どもからシニアまで年齢を問わず楽しめるとして、発祥地のアメリカを中心に世界中で人気が爆発している。

このサークル「ピコボやすぎ」を立ち上げたのが、安来市出身の高田郁恵さんだ。
18年前にアメリカ人と結婚して渡米し、現在はアリゾナ州に暮らしている。
3年前、現地の友人の紹介で初めてピックルボールを体験し、たった一度でその魅力に取りつかれた。

高田さんは「いろんな楽しいプレイを笑いながらできるので、そういうところがピックルボールの魅力だと思います。はまっちゃうんです。中毒になります」と語る。
以来、ほぼ毎日ラケットを手にしてきたという。

ピコボやすぎ・高田郁恵さん
ピコボやすぎ・高田郁恵さん
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病が奪った“いつもの時間”… 病が与えた“新しい使命”

しかし高田さんは今、治療のため日本に一時帰国している。
2025年、たまたま触れた手のあたりに違和感を覚え、病院で診てもらったところ、乳がんと診断された。
しばらくはラケットを握ることすらできなかったと言う。
それでも帰国前、高田さんを再び前向きにしてくれたのは、やはりピックルボールだった。

ところが帰国してみると、安来はおろか山陰全体でピックルボールはまったく無名のスポーツ。
島根にいる間、プレイできないかもしれないと感じた高田さんは、「せっかく治療で日本に帰ってきたんだったら、ピックルボールを広げることが私にできることだと気づかされた」と決意する。

競技に使用するパドルとプラスチック製ボール
競技に使用するパドルとプラスチック製ボール

サークル結成1か月で30人加入 広がるピックルボールの輪

決意した高田さんは早速、友人たちに声をかけてサークルを結成。
するとわずか1か月で、小学生から70代まで約30人のメンバーが集まり、週2回、飯梨小学校の体育館で練習するようになった。

参加者の反応も上々だ。
小学5年生の参加者は「いろいろな人と関わりが出来て楽しいですし、ルールがわかるとおもしろくて、いいです」と話し、71歳の参加者も「非常に楽しいですね。私71歳だけど楽しめます」と笑顔を見せた。

この活動の取材に訪れたJALふるさと応援隊の山下美々子さん、実際に体験してみると、「ラケットも軽くて扱いやすく、打つ時の音が気持ちよくて本当に楽しかったです」と語り、15分ほどでゲームができるまで上達したという。

サークル「ピコボやすぎ」の活動の様子
サークル「ピコボやすぎ」の活動の様子

「ピックルボールに救われている」活動の原動力に

現在、日本国内のピックルボール競技人口は約4万5000人。
前年比で5倍にまで増加している。
しかし、全国組織「日本ピックルボール協会」の登録団体がないのは、島根と鳥取の2県だけだという。

高田さんは「島根、鳥取が置いて行かれてる場合じゃなくて、島根から安来から発信して一人でも多くの人に知ってもらって、競技人口を増やしたい」と、次世代につなぐ活動への思いを語り、通院の合間にも、メンバーの勧誘や練習の調整など、普及活動を精力的に続けている。

その原動力について問われると、「やっぱりピックルボールが好きなのが一番。病気になっても私はピックルボールに救われていると思う。だから戻って、皆に知ってもらいたいと思う」と答えた。

将来は、山陰でも大会を開くことを目標に掲げる高田さん。
治療と普及活動を両立しながら走り続けるその姿は、スポーツの持つ力と、地域へのあたたかな思いを体現している。

ピコボやすぎ・高田郁恵さん
ピコボやすぎ・高田郁恵さん
TSKさんいん中央テレビ
TSKさんいん中央テレビ

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