岩手県の南東部、内陸と沿岸の中間に位置する遠野市が「民話のふるさと」として有名になったきっかけが、民俗学者・柳田國男の著書「遠野物語」だ。

この地域に語り継がれてきた民話や伝承が記され、日本の民俗学の出発点として知られるようになった。

「遠野」という地名には、どのような由来があるのか、長年にわたり岩手県の地名を調べている宍戸敦さんは次のように説明する。

宍戸敦さん
「遠野は、当時の『中心地から見て遠い場所』ということが由来と考える。どこから見た場所かというのが2つ考えられている。一つは、当時の中心だった宮古方面『閉伊(へい)』の地域から遠く離れた土地、閉伊から遠いということで『遠閉伊』の場所=遠野となった。もう一つは、811年頃、北上川流域に斯波(しわ)郡、稗縫(稗貫)郡、和我郡の新たな郡が誕生する。その郡から見て遠くの場所にできた新たな行政区=遠野保を遠野と言ったのではないかと考えられている」

「遠い場所」として名付けられたと考えられている遠野の地名だが、実はこの説の他にもアイヌ語に由来するという説が地域に伝わっている。

遠野市立博物館学芸員の浅沼聡美さんは「アイヌ語で湖の丘を意味する「To(湖)Nup(丘原)」が遠野の由来になったとされている。太古の時代の遠野は、湖だったという伝説が残っている」と話す。

さらにその湖について「湖の水は流れていて、今流れている猿ヶ石川になったとされている」と説明する。

遠野がかつて湖だったという「トーヌップ」の伝説、このアイヌ語「トーヌップ」を「遠野」の地名の由来として最初に提唱したのは、遠野地域出身の学者・伊能嘉矩だ。

遠野市立博物館学芸員・浅沼聡美さん
「伊能嘉矩は遠野出身の人類学者で、台湾に渡って台湾の原住民の研究をした。遠野の郷土研究にも尽力し、アイヌ語の地名研究や地震の際に揺れない場所とされる不地震地の研究、民間信仰(オシラサマ)などを初めて全国に論文で発表したのが伊能嘉矩と言われている」

地元・遠野の郷土研究を多岐にわたり行った伊能嘉矩は「遠野物語」の作者である柳田國男とも交流があったとされる。

遠野市立博物館学芸員・浅沼聡美さん
「明治42年、柳田國男が初めて遠野を訪れた際、伊能嘉矩が遠野の伝説や歴史を伝えた」

浅沼さんによると「発刊される前の遠野物語の原稿には、伊能に教わり書き直した部分がある」といい、遠野物語が伊能嘉矩にも深く影響していたことが分かる。

「遠野物語」の第1話には、伊能嘉矩の「トーヌップ」説の影響が見られ、遠野がかつて湖だったという伝説、そして遠野の「トー」がアイヌ語で湖だと考えられるという注記が書かれている。

こうした湖の伝説を始め、さまざまな民話が記された「遠野物語」、市内には現在も物語にゆかりのある場所が数多く残っている。

遠野市立博物館学芸員・浅沼聡美さん
「遠野は山々に囲まれた盆地で、人々にとって山は生活の基盤であり神聖な場所だった。山で見たもの、聞こえた音、山の神への信仰など、さまざまなものが蓄積され、伝説や民話が生まれたのではないか」

自然の豊かさと人々の暮らしに育まれてきた「民話のふるさと」遠野市。
「遠野」という地名についても、さまざまな伝承や説が残っていた。

岩手めんこいテレビ
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