2025年11月に起きた大分市佐賀関の大規模火災。消火活動にあたった消防隊員が現場の状況を映像で記録していました。
経験したことのない火の手をどう食い止めるか。公開された消防の映像と、現場で総指揮を執った当時の消防署長の証言で、緊迫したあの日の佐賀関を振り返ります。
消防隊員が記録した佐賀関のあの日 映像を入手
――公開された映像でのやりとり
「飛び火で(燃えて)いってる。囲まれなければいいな。それが怖い」
火の粉が舞う現場での消防隊員たちの緊迫したやりとり。
一帯が炎に包まれ、変わり果てた町の姿もとらえられていました。
2025年11月18日に起きた大分市佐賀関の大規模火災。
消火活動にあたった大分市消防局の隊員たちは、現場の様子を映像や画像で記録していました。
TOSでは発生当日から翌朝にかけて撮影されたものを、情報公開請求をして入手しました。
公開された映像の中には、隊員のヘルメットに取り付けられた「ウェアラブルカメラ」で撮影されたものも。目の前で上がる炎を消そうとする隊員たちの姿がとらえられていました。
――ウェアラブルカメラに記録されたやりとり
「放水態勢は整ってますか?」
「こちらも放水願う」
火災発生からおよそ5時間半後の18日午後11時過ぎに、火元の北西で撮影された映像には、広い範囲が燃える中、高台からも放水が行われている様子が映っていました。
日付が変わった19日未明に住宅街で撮影された映像では、一帯にあった建物が焼け崩れていて、がれきの所々から炎が上がっている様子を確認することができました。
――被災した住宅街で消防が撮影した映像
「多分時間が経ったら燃え上がるかな」
「恐怖心あった」現場の総指揮執った消防署長が当時の心境打ち明ける
当時、佐賀関では100人以上の消防隊員や消防団員が懸命な消火活動を行っていました。
現場に入り総指揮を執っていたのが、佐賀関を管轄する大分市消防局東消防署の署長(当時)の定野浩之さんです。3月30日にTOSの単独取材に応じ、当時の緊迫した状況を打ち明けました。
――東消防署長(当時)現場で総指揮 定野 浩之さん
「私が到着した21時30分ごろにはすでに、東側の山林まで延焼拡大している状況だった。そういう状況から尋常ではない火災だと思った」
――TOS甲斐菜々子キャスター
「住宅が密集しているあたりの火の勢いはどんな状況?」
――定野さん
「住宅が密集している地域は火柱が数十メートル昇って、佐賀関田中地区特有の『風が舞う』というが、そういう状況。次々に延焼している状況だった」
当時の最大瞬間風速は10m程度と推定されていて、風によって火の粉が広い範囲に飛び、被害を拡大させました。
当初、火元から100メートルほどの場所に設けられていた消防の指揮本部は、舞い散る火の粉のため2回にわたって遠くへの退避を余儀なくされたといいます。
――TOS甲斐菜々子キャスター
「燃え移るスピードは早かった?」
――定野さん
「火の勢いが強くてなかなか近づけない。そうしているうちにまた飛び火で数十メートル先が突然燃え広がるという状況で、どこを先に手を付けていいか、優先順位がなかなか難しかった。いろいろ火災を経験しているが、そういう私でも恐怖心があった」
焼け野原となった港町 消防隊員は教訓を生かすと決意
ベテランの指揮官も恐怖を感じたほどの未曽有の大火災。
それでも夜通しの懸命な消火活動によって、少しずつ火の勢いは衰えてきました。
こうして迎えた朝。
消防のドローンには、のどかな港町から一変し、焼け野原となってしまった佐賀関の姿が映し出されました。
――定野さん
「ドローンで俯瞰して見たが、全て住宅街が焼け野原の状態で、 本当に被災者のことを思うと、胸が痛いという状況」
また、住宅街の火はおよそ1.4キロ離れた離島にも燃え移りました。隊員が防災ヘリコプターから撮影した画像には、島から立ちのぼる煙が写されていました。
朝になって住宅街で撮影された映像には無数のホースが…
住宅が密集する現場の道は細く、大きな消防車両が入るのが困難だったことから、ホースをつなぎあわせて消火活動が行われました。
ホースの中には水が噴き出してるものも。およそ200本が焼けてしまったということです。
1人が亡くなり、196棟の建物が焼け、17日目でようやく鎮火となった佐賀関の大規模火災。定野さんにとってもこれまでに経験したことのないものとなりました。
――東消防署長(当時)現場で総指揮 定野 浩之さん
「残念ながら1名が亡くなってしまったが、残りの住民は全て避難した。それが一番私たちの活動の上で大事だった」
2度とこうした火災が起こらないように…
現場対応にあたった消防隊員たちは佐賀関での教訓を今後の消防活動に生かしていく決意です。