熊本市の宮津 航一さん。『こうのとりのゆりかご』いわゆる赤ちゃんポストに預け入れられた子どもだと公表して4年。先日、大学を卒業しました。航一さんの新たな出発までを追いました。
卒業式の朝です。2月引っ越したばかりの事務所兼自宅のリビングには実母、航一さんを産んでくれたお母さんの写真が置かれていました。
【宮津 航一さん(22)】
「〈天国からずっと見てくれてるのかな〉と思うので、特段いろいろ語りかけることはないですけど」
Q心には、いつもいらっしゃる
「そうです」
【式辞・堤裕 昭 学長】
「本日、卒業を迎える皆さんの多くが本学に入学したのは2022年のことです」
2022年春、航一さんは自らの生い立ちを公表しました。
【22年4月・航一さん(18)】
「預けられたときに履いていた靴がこの靴です」
航一さんは2007年5月『こうのとりのゆりかご』に預け入れられました。
航一さんは身元が分からないまま宮津さん夫妻に迎えられます。
【22年4月・宮津みどりさん】
「(ゆりかごへの預け入れ)そうでなくても、そうであってももう受けるって決めたのでかわいがって育てようと思いました。一緒にお風呂に入ったり、3人で寝たり、朝から晩までべったりしてるのでアッという間に懐いてですね、甘えるようになりました」
のちに航一さんの実の親のことが分かったとき、宮津さん夫妻は隠すことなく航一さんに伝えました。
【22年4月・航一さん(18)】
「僕自身、母親の存在が分かったときに交通事故で亡くなっていたことも分かって、そこに関して悲しみとかはあまり思わずに、逆に出自が分かったことに、母の存在が分かったことにうれしかったというか、分かってよかったなと思った気持ちの方が強かったです」
航一さんは宮津さん夫妻の実の子どもや、夫妻が養育を担う他の子どもたちとともに成長。高校2年のとき、航一さんは宮津さん夫妻と普通養子縁組を結び正式に親子となりました。
【22年4月・航一さん(18)】
「僕は(ゆりかごに)預けてくれたことには感謝しているし、そのおかげで今の生活があるので預けてくれてよかった。僕だけじゃなくて『ゆりかご』に預けられた子みんなが幸せに育ってほしい」
航一さんは、高校3年のときから子ども食堂の運営を続けています。
【22年4月・航一さん(18)】
「両親(宮津夫妻)が前からずっとボランティア活動をやっていたので自分としてはそれが自然というか、そういう両親の姿を見て〈かっこいいな〉と思って。実際に声を上げてやることが必要だなということを感じて」
大学生になった航一さんはさらに新たな活動を始めます。
【23年10月会見・航一さん(19)】
「本日10月10日、子ども大学くまもとを設立いたしました」
航一さんが『ゆりかご』に預け入れられた時航一さんを最初に抱き上げた、当時の慈恵病院看護部長・田尻 由貴子さんと法人を設立し『子ども大学くまもと』をスタートさせました。年2回のペースで開き、3月までに5回の開講を数えています。
【3月15日 第5回子ども大学くまもと 九州ルーテル学院大で航一さん】
「私は『ゆりかご』があったから命を救ってもらった。それをいろんな人に知ってほしいと思ってメッセージを届けています。私以外に(ゆりかごに預け入れられた)192人の子どもがいます。きっと皆さんの身近にもいる。〈親がいない子だから〉とかレッテルを張らずに当たり前に関わってほしい」
【参加児童】
「生い立ちを話すというのはつらいこと、勇気がいることと思うんですけど、それでも頑張ってみんなのために公開しようとしているのを素晴らしいと思いました」
総合管理学部の学生として授業を受ける平日の航一さんです。
【総合管理学部宮園博光教授】「県立大学総合管理学部は特に外のフィールドワークが多いんですけど、どんどん外に出ていく素晴らしい体験をしていると思いますし、他の学生にもいい影響を与えていると思います」
【今年2月21日玉名市民会館】【航一さん講演】
「(赤ちゃんが)山林に遺棄されたり、そういう事件も後を絶ちません。でもその選択をせず熊本までやって来て『ゆりかご』に命を託す、つなぐ、そういう役目を果たしてくれた(『ゆりかご』に)預けた人たちにはもっと社会は理解をすべきだと思います。預けた人たちを責めても何も変わりません。なぜ私たちはその人たちの窓口になれなかったか、助け船になれなかったか、そこを考えなければゆりかごが要らない社会にはつながらない」
いつしか『大学生講演家』の肩書を持つようになった航一さん、この4年間に県内外で行った講演は合わせて177回。この日は講演に加え両親とともにシンポジウムに参加することになりました。宮津家で航一さんはどのように家族となじんでいったのか。
【航一さん(22)】
「(学校の部活動に)自転車で行くより父の車に乗せていってもらったりそういう親子の時間があった。たくさんの人数で生活してるけど両親も私だけでなく他の里子も含めてその子と二人の親子の時間をつくってくれた」
【母・宮津みどりさん(67)】
「新しく入って来た子は不安だったり寂しかったり家族に馴染めていない弱い立場なのでそういう子どもはみんなで守りましょうというモットーがありました」
【25年5月・子どもを乗せ車を運転する航一さん(21)】
この日、航一さんは両親が運営するファミリーホームで養育している子どもを車で送迎していました。自身にとって父と二人だけの車の中がそうであったように、航一さんも今、事情を抱えやってきた子どもとの時間を大切にしていました。
【25年5月・航一さん(21)】
「自分の生い立ちを気にしたり不安になったりすれば声をかけてくれるだろうしそういう時が(自分の)出番なのかなと思いますね。『航一兄ちゃんだったら話せるんじゃないかな』『言えるんじゃないかな』ってポロッとつぶやいてくれるような」
航一さんは、就職はせずこれまでの活動を継続し自分の道を進むと決めました。
【25年5月・航一さん(21)】
「講演家としてはいろんな所でゆりかごの当事者として私だから話せること、伝えられることを伝えていかないといけないと思うし子ども食堂とか子ども大学では一緒に生活をするわけではないけどもその関わりの中で子どもとか家庭とか、最終的には地域が変わるような、そういう働きかけができるんじゃないかなと思っています」
そして今月、航一さんは大学を卒業しました。
【卒業式後・航一さん(22)】
「自分なりにいろいろ考えて社会人となる4月からは『いのちの語りびと』っていう自分の中に肩書をつけまして命の大切さとか自分が歩んできた道を多くの子どもたち、多くの方々にまずは講演という形で届けていきたい」
Q(ゆりかごに預け入れられた他の192人の子どもたちへ)「ずっと言い続けてることですがいろいろな境遇はあっても一人じゃないっていうことと前を向いていれば、自分(私)がしてもらったように誰かが支えてくれるし、誰かが応援してくれるし、ちゃんと未来があるって子どもたちに伝えたいなと思っています」航一さんは、これからも「『子どもたちのお兄ちゃん』であり続けたい」と思っています。