大相撲の元大関で、伝統の二所ノ関部屋を復活させた元二所ノ関親方の日高六男さんが3月15日、肺炎のため千葉県内の病院で亡くなった。69歳だった。鹿児島県中種子町出身の日高さんは、現役時代「南海の黒ひょう」の愛称で多くの相撲ファンに愛され、引退後は指導者として角界の発展に尽力してきた。

俊敏な動きで魅了した現役時代

日高さんは四股名「若嶋津」として土俵に上がり、左四つからのスピード感あふれる取り口を武器に頭角を現した。浅黒い肌と俊敏な動きから「南海の黒ひょう」と呼ばれ、その独特な取り口は相撲界に新たな魅力をもたらした。

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1982年の九州場所後に念願の大関昇進を果たすと、その実力を如何なく発揮。1984年の春場所で初優勝を飾ると、同年の名古屋場所では全勝優勝という快挙を達成し、計2回の幕内優勝を記録した。この全勝優勝は、日高さんの相撲人生における最高の瞬間の一つとして語り継がれている。

しかし、力士生活の終盤は軽量化と内臓疾患に悩まされ、本来の力を発揮することが困難になった。1987年の名古屋場所中に現役引退を決断し、土俵から去ることとなった。

指導者として部屋創設・復活に尽力

引退後は年寄「松ヶ根」を襲名し、1990年に松ヶ根部屋を創設。若い力士たちの育成に情熱を注いだ。

2014年には日本相撲協会の理事に就任し、同時に年寄「二所ノ関」を襲名。伝統ある二所ノ関部屋を復活させるという重責を担った。

闘病生活を経て永眠

2017年10月に体調を崩して倒れ、頭部の手術を受けた日高さんは、それ以降療養生活を続けていた。家族や関係者に支えられながらの闘病生活は約8年間に及んだ。

現役時代は軽量ながらもスピードと技術で大型力士に立ち向かい、引退後は指導者として相撲界の発展に貢献し続けた日高さん。中種子町出身という地方出身力士として、多くの後進に夢と希望を与えた功績は計り知れない。

「南海の黒ひょう」として土俵を駆け抜け、伝統の継承者として相撲界に尽くした69年の生涯だった。葬儀・告別式については未定となっている。

現役時代の華麗な取り口と、指導者としての献身的な姿勢は、これからも多くの人々の記憶に刻まれ続けるだろう。

(動画で見る▶元大関・日高六男(若嶋津)さん死去、69歳 「南海の黒ひょう」と呼ばれた快速力士)

鹿児島テレビ
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