福島県双葉町。かつて津波によってすべてが流されたこの場所では、記憶を伝える施設や企業の進出など、着実な復興の歩みが進められている。しかし、福島のこの15年は、原発事故からの再生と共にある。
2011年3月11日の地震と津波により、福島第一原子力発電所は過酷な事故に見舞われた。首都圏へ電気を送り出していたこの場所は、次々と電源を喪失。1号機と3号機が水素爆発し、2号機も「ベント」作業の失敗で大量の放射性物質を拡散させた。
事故から15年。国と東京電力が掲げる廃炉完了目標の2051年まで、残り25年となった。廃炉の現在地はどうなっているのか。今回、事故後初めて原子炉建屋のすぐそばからの中継が許可され、取材班が構内に入った。
■放射線量は80分の1に 様変わりした構内環境
取材班の立ち入りが許されたのは、2号機から約100メートル離れた場所だ。事故直後、この地点の放射線量は1時間あたり約1.2ミリシーベルトと非常に高く、重装備の防護服なしでは立ち入ることができなかった。
しかし現在、作業員や取材班の装備は積算線量計のみ。ゴーグルやマスクといった簡易的な装備をすれば、防護服なしで原発構内の約96%に立ち入ることができる。現在の放射線量は1時間あたり0.015ミリシーベルトと、事故直後の約80分の1にまで低下している。これは、構内のガレキ撤去や樹木の伐採といった、放射性物質の舞い上がりを防ぐ対策が大きな効果を上げた結果である。
■「廃炉の本丸」への挑戦と変わらぬゴール
環境は大きく改善されたが、廃炉への道は依然として険しい。1号機から3号機の内部には、溶け落ちた核燃料「燃料デブリ」が残されており、その詳細は今もつかめていないブラックボックスが存在する。
構内では現在も、1日に最大で約5000人が廃炉に向けて作業にあたっている。3月6日からは18回目となる処理水の海洋放出が始まり、3号機では内部状況を把握するため小型ドローンを格納容器内に飛ばす調査も行われた。
燃料デブリの取り出しなど、作業工程には年々少しずつの遅れが公表されている。それでも、最終的なゴールである2051年の廃炉完了という目標は変わらず、今年も3月11日を迎えた。
■最高責任者が語る廃炉の未来図
廃炉・汚染水対策の最高責任者である東京電力・福島第一廃炉推進カンパニーの小野明氏は、現状をどう見ているのか。
「廃炉の本丸」と言われる燃料デブリの取り出しについて、小野氏は「2号機から試験的取り出しにこれまで2回成功している。取り出した量はごくわずかだが、デブリの性状がしっかりと分かってくるなど、廃炉作業の新たなステージ、廃炉の本丸に我々は一歩、しっかりと足を踏み出した」と語り、着実な前進を強調した。
では、廃炉が完了する2051年、この場所の景色はどうなっているのだろうか。
「目の前にある1号機の排気筒などは撤去され、その後に燃料デブリ取り出しのための建物が新たに設置されるなど、現場の景色は大きく変わっていくだろう」と小野氏は見通しを示す。一方で、「最終的な廃炉の姿というものは、地元の皆様の思いを受けて具体化していくことになる。私たちは廃炉の完遂に向け、安全着実に作業を進めて福島への責任を果たしてまいりたい」と決意を述べた。
■福島だけではない、未来への宿題
原発事故が残した課題は、廃炉作業だけではない。事故後に福島県内の除染で出た土などは、第一原発を取り囲む「中間貯蔵施設」に運び込まれているが、県外での最終処分地の具体的な場所はまだ見えていない。また、処理水の海洋放出後、日本産海産物の輸出への影響も続いている。
かつて首都圏へ電気を送っていた福島第一原発が抱える課題、そして未来への宿題は、決して福島だけのものとは言えない。この15年間の歩みは確かに目に見える進展だが、同時に廃炉完了までの道のりの遠さも感じさせる。