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病気を克服し再びステージへ…日本を代表するバレリーナ・米沢唯 原点は“名古屋”「覚王山の公園が私の庭」|FNNプライムオンライン

病気を克服し再びステージへ…日本を代表するバレリーナ・米沢唯 原点は“名古屋”「覚王山の公園が私の庭」

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新国立劇場バレエ団でプリンシパルを務める米沢唯(よねざわ・ゆい)さんは、心臓の疾患を乗り越えて、舞台へ舞い戻りました。強くて華麗な踊りの原点・名古屋での思い出について話を伺います。

■「1人で練習している子だった」18歳まで名古屋で学ぶ

日本を代表するバレリーナ・米沢さんは、名古屋市千種区の覚王山の出身です。

米沢さん:
「覚王山に住んでいたので、日泰寺という大きなお寺があって、そこも大好きで。『えいこく屋』というインドカレーのお店があって、“特別な日に”という感じの思い出があります」

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3歳から18歳まで、名古屋のスタジオで学んでいたそうです。

Q.どういう子供だった?
米沢さん:
「先生方に言われていたのは、スタジオに置いておけばずっと踊って自分で一人で練習しているような子だったというのと、ちょっと周りから浮いているというか、変わってるねと言われたことがあります」

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愛知淑徳大学時代、18歳で出場したのが、東海テレビが主催した「世界バレエ&モダンダンスコンクール」でした。

米沢さん(2005年当時):
「小さい時からすごく出たくて憧れていたんですけど、ずっと出たかった、長年出たい出たいと思っていたコンクールだったので、今年出られてすごくうれしいです」

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憧れだったというコンクールで3位に入賞。世界に羽ばたくきっかけとなり、アメリカのバレエ団へ。

米沢さん:
「アメリカから帰ってきて、何カ所かに自分の履歴書を送ってオーディションを受けに行こうと思った時に、東海テレビのコンクールの映像とかを切り取って入れたりさせていただきました」

■一度は引退を考える…病気を克服して再び舞台へ

帰国後は、新国立劇場バレエ団に入ります。そのキャリアは順風満帆に見えますが、2024年6月に体調不良に陥り、引退も考えたということです。

米沢さん:
「2024年6月の舞台中に体調不良になりまして、降板させていただいて。『心臓に疾患があるだろう』ということで、この先どうするかということをすごく突きつけられたというか。一度はやめようと思っていましたね」

それでも踊ることをやめず、病室でも一人でレッスンを続けました。手術を経て、再び舞台に戻ってきた米沢さんの強さと華麗なバレエの原点は、名古屋でした。

米沢さん:
「覚王山にある『二ツ池公園』という公園が、私の“庭”だったんですけど。そこで体験したことって、今でもなんだかキラキラしていて、すごく大事な時間だったんだなと思うので」

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バレエを頑張っている子供たちに、“一番伝えたいこと”を聞きました。

米沢さん:
「バレエを一生懸命やるのも大切だけど、公園で走って遊んだり、そんな時間を大切にしてほしいなと思います」

東海テレビ
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