ノーベル医学・生理学賞の受賞発表から一夜明けた2日、京都大学の本庶佑特別教授(76)は「典型的な亭主関白として研究にまい進して参りました。そういうことをさせてくれた家族にも感謝して…」と家族への感謝を語った。

 
 
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会見には妻の滋子さんも同席し、「そばで主人を見ておりまして、なんでも諦めない、とことん極める。それは仕事もそうですが、(家庭でも)色んな会話をしてても中途半端では終わらせない…」と仕事でも家庭でも”とことん極める人”だと評した。

 
 

週に2回はゴルフへ!

しかしひとたび研究を離れた本庶さんには意外な素顔があった。

1942年に京都府で生まれた本庶さん。医者である父の仕事の関係で、小学校から高校まで山口県宇部市で過ごす。

小学生の頃の将来の夢は「天文学者」。中学に進学するとすぐに一目置かれる存在になり、その後、山口県立宇部高校へと進学。

提供:京都大学
提供:京都大学

高校の前には、卒業生である本庶さんのノーベル賞受賞を祝い、紙のポスターが貼られているが、さらに大きな垂れ幕を急ピッチで制作しているという。

宇部高校は県を代表する名門校とあって、映画監督の山田洋次さんや映画『シン・ゴジラ』の庵野秀明さん、ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井正会長など、多くの著名人を輩出している。

高校でも成績はトップクラスだった本庶さんだが、医師か弁護士を目指すかで悩んでいたと、同級生は明かした。

高校時代の同級生・磯部輝雄さんは「やはり“弁護士の道”であれば、少数の人が喜ぶのであって、“医療”で成功したら、大変多くの人に喜んでもらえるだろうということで、そう言って医療の道へ行ったと言ってますね」と話した。

京都市内にある「京都ゴルフ倶楽部」では、理事を務めている本庶さん。担当者は「週に2回くらいは来ます。1日かけて18ホールを回って帰られます。やはり、うまいですね」と話した。

京都ゴルフ倶楽部
京都ゴルフ倶楽部

また本庶さんは「ゴルフ場に来ているメンバーの人がある日突然やってきて、『あんたの薬のおかげで肺がんやってたけど、良くなってまたゴルフ出来るんや』という話をされると、これ以上の幸せはない」と会見で明かしていた。
 

男も惚れる!?モテモテ伝説

また、異性からの評判も良かったという本庶さん。

高校時代の同級生・今井信之さんは「女性にはモテたよ。宇部高校の女性からね。『本庶さん、本庶さん』って言ってた」と明かした。

大学院生の頃の本庶さん(提供:京都大学)
大学院生の頃の本庶さん(提供:京都大学)

大学院の後輩で、医療イノベーション推進センターの福島雅典センター長は「大学院の頃はテニスに凝っていた。若い時もイケメンだよね。ハンサムで話し方から身振り、振る舞い、立派なもんだと思いますね。男でも惚れ惚れするって感じです。天は二物を与えずなんてウソウソ、二物も三物も与えてもうた!」と語った。

本庶さんは大学時代にはフルートを始めたというが、大学の同級生で日本フルート協会の佐々木真会長は「音楽を技術的にすることは、あまり得意ではなかったと思います。音楽の能力とは別に『運営』ですね、彼の人柄を持って、みんなをまとめていく能力というのは抜群だった」と明かした。

さらに、本庶さんは『阪神タイガースの大ファン』であり、阪神タイガースの元監督・岡田彰布さんの後援会「メンバーズ80岡田会」の会長を務めている。

阪神戦の時は盛り上がるのかと思いきや、本庶さんと阪神戦を見たことがある人は「全然しゃべらないですよ。野球見てます、ずっと。何でも集中してはりますから」と、観戦中は試合経過に集中して一喜一憂せずに黙って見続けるのが“本庶流”だという。

また、小・中・高と本庶さんの後輩で、今でも付き合いのある東京大学・浅野茂隆名誉教授は「何をやってもトップであるということ、それが僕ら凡人にとって『神童』と言わざるをえない。だけど人を蹴落としてトップになる人じゃない。元々実力があって、自然とトップになっている人だから」と話した。

(「めざましテレビ」10月3日放送分より)