鉄球作戦は“失敗”だった!?「あさま山荘事件」奇跡の救出劇の舞台裏

  • 鉄球作戦を実行した民間人が、今だから語れる“本心”
  • 作戦通りに鉄球を打ち込むも、警察の狙いは外れ犠牲者が…
  • 「家族が狙われたら…」一度も飾られなかった感謝状

テレビで繰り返し流れる、鉄球が建物を打ち付ける瞬間の映像。

それは日本中を震撼させた昭和史に残る大事件「あさま山荘事件」の最後の攻防だ。


この事件で鉄球作戦を実行した民間人の白田弘行氏(80)は、「あの作戦は失敗だったとはっきり言いたい」と意外な言葉を口にした。

奇跡の救出劇と語り継がれるこの作戦を、なぜ“失敗”と言い切るのか…。

6月7日に放送された「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)では、鉄球作戦でクレーン車を操縦した白田氏にMCの坂上忍が直撃した。

難攻不落の要塞「あさま山荘」に5人が立てこもる

今から46年前の1972年2月19日、極左暴力集団のひとつ、連合赤軍のメンバー5人が長野県軽井沢の「あさま山荘」に籠城。

彼らは、有名大学などに籍を置く若者たちで、革命による自らの理想国家の実現を目指し、そのためには、武力行使も辞さない強行派だった。


1971年に銃砲店を襲い、奪った銃で銀行を襲撃するなど、過激な犯行を繰り返しながら逃走を続け、群馬県の山岳地帯に潜伏。

そこでは、不適格と判断されたメンバーに対して、『総括』と称した集団リンチを行い、同じ思想を掲げたはずの12人もの仲間を殺害した。

警察の手から逃げ延び、長野県軽井沢の「あさま山荘」にたどり着いた5人は、山荘の管理人である女性を人質に取り、立てこもった。

「あさま山荘」は切り立つ崖の上に立っていて、下から攻めようとすれば容赦ない銃弾が降り注ぎ、崖の上に回っても壁に開けられた7つの穴から狙い撃ちされてしまう難攻不落の要塞だった。

また、現場の警察官たちには、メンバーの神格化を防ぐため、当時の警察庁長官・後藤田正晴氏から「銃の使用は禁止」「犯人は生け捕り」などの厳しい命令が下っていた。

そこで警察がとった作戦は、建物の解体に使われる鉄球で山荘の壁を破壊するという、今に語り継がれる「鉄球作戦」だった。

現場での操縦を引き受けた民間人・白田氏

銃撃飛び交う最前線で、その「鉄球作戦」を実行したのは、当時34歳だったクレーンやブルドーザーなどの重機を運搬する会社、白田組の白田弘行氏(80)だ。

当初、警察から車両と鉄球の貸し出しを依頼された白田氏は、大型車両が狭い林道を通れるのか、山荘近くまで接近が可能かなど現場まで下見作業を行った。

その下見の作業は命がけだった。

銃弾が飛び交う現場で、警察官たちは盾で民間人である白田氏の身を守っていたが、警察が使用していた盾は投石用の防護盾で、1枚では銃弾は貫通してしまうという。
そのため現場では2枚重ねにしていたが、警察官からはそれでも銃弾を防ぐのは「正直に言うと無理です」と言われたという。


そんな死と隣り合わせの下見の結果、「鉄球作戦」を実行できると踏んだ白田氏は、連合赤軍メンバーの銃弾から命を守るため、クレーン車のボディーを厚い鉄板で覆う作業を始めた。

その時に出会ったのが、警視庁第二機動隊隊長の内田尚孝氏(当時47歳)だった。

剣道の腕前は警察内でもトップクラスで、部下たちに慕われた内田氏。どんな仕事も手を抜かない白田氏と内田氏は、初対面から馬が合ったという。


当初警察は、車両と鉄球を借りるだけの予定だったが、クレーン車の操縦は思った以上に難しく、素人が的確な場所に鉄球を打ち込むことは簡単なことではなかった。

短い期間だが確かな絆が生まれていた2人。

白田氏は現場で自らが操縦することを引き受けた。


目の前で“仲間”が銃弾で命を落とす

1972年2月28日、早朝から緊張感が漂う中で、白田氏も警察用の防寒コートを身にまとい、その時をじっと待っていた。


「鉄球作戦」の作戦は次のようなものだった。

警察は人質は2階、犯行グループは3階にいると予想していたため、山側からクレーン車を近づけ、玄関脇の2階と3階の階段付近を鉄球で破壊。

2階と3階を寸断して、人質の安全を確保し、警視庁第9機動隊が1階に、長野県警機動隊が2階に突入して、人質を救出し、最後に内田氏率いる第2機動隊が3階から入り込み、犯人たちを確保するという作戦だ。

白田氏は内田氏と作戦の成功を誓い合った。

銃弾が降り注ぐ中、白田氏は大型クレーン車を徐々に山荘に近づけていき、狙い通りに玄関脇の階段付近の壁を打ち抜く。

続けて鉄球を打ち込み、一方で、警察は犯行グループの銃撃を防ぐため、開いた穴めがけて放水、そして催涙弾を放ち、この機に乗じて3つの部隊が動いた。


しかし、人質は予想していた2階にも1階にもおらず、犯行グループと同じ3階にいた。内田氏が率いる3階の正面玄関の攻防は壮絶を極めた。


その時、連合赤軍のメンバーが撃った銃弾が、放水の指揮を執っていた警察官の頭を直撃、命を落とすことになる。初めて出た警察からの犠牲者に現場はパニック状態になったという。

さらに、作戦開始から1時間半後、最前線へ進む内田氏に銃口が向けられ、銃弾は内田氏の左目に命中。搬送された病院で死亡が確認された。


当時の様子を白田氏は「内田氏が撃たれた時は愕然としました。目の前です」と振り返った。

その後、決戦の舞台となった3階で、犯行グループとの最後の攻防戦が繰り広げられ重傷者を出しながらも、警察は指令通りに犯行グループ全員を生きたまま逮捕し、人質を救出した。

10日間に及ぶ熾烈を極めた闘いは幕を閉じた。

「作戦ははっきり言って“失敗”だった」

当時の現場で警察関係者が2人亡くなったことに触れ、白田さんは「銃口のあるところを、たとえ1発でも2発だったとしても、鉄球を最初にぶつけさせてくれれば、向こうから反撃はなかったと思います。だから、作戦ははっきり言って“失敗”だったと、私は思っています」と辛い胸中を明かした。

事件解決後、協力の労をねぎらって白田組には感謝状が贈られている。

しかし、その感謝状は、長年事務所の片隅にひっそりと置かれていた。

もし、自分の家族が報復で残党に狙われたら…そう考えたら、一度も感謝状を飾ることができなかったという。

白田氏はこれまでも「あさま山荘事件」を取り上げた番組に出演している。

46年間、これまでこういった話をしてこなかったことに坂上が触れると、白田さんは「今までは一応セーブしていたんです。ただ、余命もなくなってきているので、本当の本心を言っておかないと。今のうちだなと思って、さらけ出しています」と打ち明けた。

事件解決から46年…再びあさま山荘へ

「あさま山荘」は今もなお、当時の姿のままのたたずまいで存在している。

白田氏はどうしてもまぶたの裏に焼き付けたいと、軽井沢へ向かった。

日本中を揺るがした大事件が起きたとは思えないこの場所に立ち、「何事もなかったかのように見えるけれど、目の前で射殺されるのはすごく嫌な気持ち。思い出しちゃった…。第二機動隊員も、みんな泣いていました」と46年間もの間、後悔の念を抱き続けた白田さんは涙を流した。

犯行グループを逮捕し、事件を収束させたきっかけを与えた「鉄球作戦」は、成功のように語り継がれている。

しかし、そこには決死の覚悟で突入した隊員たちの犠牲があったことも忘れてはならない。

「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54

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