鳩山さんが仕込んだ崩壊の時限爆弾 民主党政権は悪夢だったのか【前編】

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  • コメンテーター初日に天井がグルグル
  • 鳩山さん、それ言っちゃおしまいだ
  • 小沢首相を一度だけ見てみたかった

予定より10年早くコメンテーターに

平成21年(2009年)9月1日、フジテレビの報道番組部長に「話がある」と呼び出された。
その2日前の日曜に民主党は総選挙で過半数を得て、自民党から政権を奪ったばかりだった。政治部長だった僕は当確判定の責任者だったので日曜は徹夜だったため、まだ頭が少しぼーっとしていた。指定された会議室に行くと、日曜朝の政治討論番組「新報道2001」のプロデューサーもいる。番組から政治部へのクレームかな、と身構えたら、「2001のコメンテーターやってくれませんか」という予想外の言葉だった。

実はそれほど予想外でもなかった。
「2001」は以前、黒岩祐治さん(現神奈川県知事)が司会、竹村健一さんがコメンテーターというコンビだったが、その年の4月に竹村さんが引退し、須田哲夫さんが加わった。説明では須田さんが司会、黒岩さんがコメンテーターということだったが、黒岩さんは司会の癖が抜けず、いつのまにか須田さんに代わって進行してしまう。司会が二人いて、コメンテーターがいないという変な番組になってしまっていた。

黒岩さんが会社を辞めるという噂があったので、
「黒ちゃん辞めたら後任は僕かな」
と秘かに思っていたのだ。

いずれはコメンテーターになりたかった。
妻にはよく「60歳になったらコメンテーターになる」と冗談を言っていた。当時まだ50歳だったので、予定より10年早かったが、まあ何とかなるだろう。僕は小心者だが楽天的でもある。民主党による政権獲得は、小泉政権が終わり、その後の安倍、福田、麻生の3氏が、政権の維持だけに四苦八苦するのを見て、時間の問題だと誰にもわかっていた。

戦う前から勝負あり!自民と民主のマニフェスト

選挙前に自民、民主のそれぞれの公約発表の会見を聞きに行って驚いた。民主党では赤を効果的に使ったきれいな印刷の、20ページほどのパンフレットが配られた。
「中学卒業まで1人当たり月26000円の子ども手当を支給」
「高速道路の無料化」
など魅力的なマニフェストが並んでいた。

一方の自民は公約の党内調整が遅れたため、パンフレットの印刷が間に合わず、なんと白黒のコピーの配布だった。写真もない。これはダメだ。戦う前から勝負あったなと思った。

後に自民党の議員からこんなことを言われた。パンフレットの印刷が間に合わなかったのは、それだけまじめに公約の議論をしたからだ。民主はいい加減なことをきれいなパンフレットに書いて実現できなかっただろ?あんたたちマスコミが民主をおだて、自民をバカにした結果だよ、と言われ一言も返せなかった。

初日から天井がグルグル

僕のコメンテーターデビューは10月4日。
その日の2001のゲストは野田佳彦財務副大臣、大塚耕平金融副大臣らで、亀井静香金融相が提唱していた、「モラトリアム法案」について議論した。これは中小企業が借金返済の条件を変えることができる、という法案だが、金融機関の反発が強く、副大臣の大塚さんが苦労しているな、と思ったことを覚えている。

放送が無事終わって帰宅し、翌朝起きたら目の前がグラグラっと揺れた。地震かと思ったらどうやら違う。めまいのようだ。慌てて横になったがめまいは続き、天井がぐるぐる回る。そのうち吐き気もしてきた。病院に行くと、ストレスによるめまいだという。トラベルミンという乗り物酔いの薬を処方された。

初日からこれで大丈夫なのだろうか。確かにものすごく緊張していたのは事実だ。これまでもテレビには出ていたのだが、生番組に1時間半通しで出るのは初めてだったし、自分の立ち位置や発言内容についていろいろ悩み、前日はあまり眠れなかった。

ストレスでめまいです、などと言って番組を降ろされても困るので、黙っておくことにした。幸いめまいはトラベルミンでおさまり、二度と出ることはなかった。

僕は小心者だが順応性も高いらしい。

鳩山さん、それを言っちゃおしまいだ!

民主党政権のマニフェストは多くが実現できず批判されたが、僕はたとえば子ども手当の月26000円は無理でも、最初は少ない額から始めるなりして、少しずつ進めればいいのではないかと思っていた。他のマニフェストも修正しながら徐々に実現できるものもあると思っていた。

ただ一つだけどうにもならない問題があった。
それが普天間の辺野古移設の問題だった。
民主党はマニフェストで普天間については「米軍基地の見直し」というあいまいな表現にとどめていた。

しかし鳩山由紀夫代表が選挙の直前に「最低でも県外」と言ってしまった。このニュースを聞いた時、「民主党政権はいずれつぶれるな」と思った。普天間の県外移設は不可能なのだ。それを言っちゃおしまいだ。

それは民主党の人達もみんな知っている。まともな人なら。
鳩山さんはいずれ辺野古に戻らざるを得ない。
すると社民党は連立離脱し、参院での過半数確保は難しくなる。
すると予算関連法案が通らなくなり、首相は毎年予算と引き換えに辞任しなければいけなくなる。
自民の安倍、福田、麻生政権と続いた「負の連鎖」なのだ。
いずれ政権は崩壊する。

鳩山発言は政権崩壊の時限爆弾だった。
爆弾を首相になる人自ら仕掛けてしまったのだ。
前原誠司さんら外交安保に詳しい議員が民主党に何人もいるのに、なぜ鳩山さんにあんなことを言わせてしまったのか本当に不思議だった。
おそらく連立入りが決まっていた社民党の福島瑞穂さんや、民主党保守派から冷たくされ、社民を含む左派に接近していた、小沢一郎さんの影響と思われる。

ついにひなたに出た「影の総理」

11月に鳩山首相はオバマ米国大統領と会談し、「トラスト・ミー(僕を信じて)」と言い米側のさらなる不信を買った。
翌2010年1月には辺野古がある名護市長選で移設反対派が勝利。鳩山氏の安易な県外発言にあおられて辺野古移設が困難になってしまった。にもかかわらず5月、鳩山内閣は「辺野古移設」を閣議決定、これにより社民党は連立を離脱した。

そして鳩山さんは6月に唐突に辞任してしまった。辞任の前日にたまたま首相と民放政治部長との懇談があり、鳩山さんは「私は辞めませんよ」とにこやかに言った。完全オフレコなのに、ある社が「首相が続投の意向」というニュースを放送して、オフレコ破りをしたが、翌日辞めてしまったのでその社は誤報になってしまった。

鳩山さんの後継首相には、このころはまだ人気が高かった菅直人さんが就任し、一時的に内閣支持率も上がった。しかし菅さんの消費税発言で、民主党は7月の参院選で大敗し、過半数を失った。

ここで小沢一郎さんが動いた。
政権交代前に政治資金問題で代表職を退いた小沢さんは、鳩山政権では幹事長に就任、細川政権の時と同様「影の総理」と呼ばれていたのだが、この時ついに代表選への出馬を決断し、菅さんと首相の座を争うことになった。

自民党の海部政権、細川政権、鳩山政権、いずれも裏で首相を繰っていたのは小沢さんだった。しかし常に「影」にいた小沢さんがついに「ひなた」に出てきたのだ。

「新報道2001」に菅さんと小沢さんが出演することになった。9月なのにひどい残暑で、連日35度を超えていた。ある日ニュースで街頭演説を見ていると、菅さんはその頃流行り始めていたクールビズのボタンダウンの半そでシャツを着ており、かっこよかった。もともと菅さんはドイツの高級ブランド「HUGO BOSS」のスーツを着るなど、あの年齢の左派政治家の中ではお洒落な方である。弁舌もさわやかで、一時は大変人気があったのだ。

一方の小沢さんはこの暑いのに背広上下でネクタイまでしている。仏頂面だし見るからに暑苦しい。「ひなた」が似合わぬ人なのだ。

2001が始まる前に控室で小沢さんに、
「街頭で背広にネクタイで暑くないですか?」
と聞いたら、何でそんなこと聞く、というような表情で、
「だって聴いてる皆さんはもっと暑いんだから」
と答えた。

言われれば当たり前だがドキッとした。35度の炎天下で背広にネクタイで街頭演説などしたら熱中症の危険性もある。ただ確かに聴いてる方も同じくらい暑いのだ。

師と仰いだ田中角栄の「握手した数しか票は出ない」という教えを忠実に守る小沢さんの選挙術には定評があったが、たぶんこの人の強さの秘密は有権者との距離の近さなのだ、とその時思った。

この選挙で驚いたのは反小沢と思っていた細野豪志さんが、小沢支持に回ったことだった。投票直前の「新報道2001」には、小沢サイドから細野さん、菅サイドから蓮舫さんを呼んだ。

一度小沢首相を見てみたかった

僕は小沢さんの政治資金問題で、秘書が有罪判決を受け、本人も検察審査会により強制起訴されたにもかかわらず、国会招致に一切応じなかったことが気に入らなかった。だから番組では「政治資金規正法違反が秘書のせいだと言うのなら、首相になって国政で間違ったことをしても秘書のせいだと言うのではないか」と細野さんにからんだのを覚えている。

後に細野さんに「なぜあの時小沢支持に回ったのか」と聞いたら、彼は「いろいろあったけど、それでも小沢首相というのを一度見てみたかったから」と答えた。
この代表選では菅さんが勝った。
その翌年、菅さん退陣後の代表選で小沢さんは再び「影」に戻り、海江田万里さんを立て、野田佳彦さんと戦ったが負けた。

小沢さんは結局一度しか「ひなた」には出てこなかった。
この後の民主党政権は菅内閣も野田内閣も、参院で過半数を持たない、非常に弱い政権だった。
今後小沢さんが首相になることはもうないだろう。
今にして思えば細野さんの言うように「一度小沢首相を見てみたかった」気もするのだ。

【後編】に続く

【執筆:フジテレビ 解説委員 平井文夫】
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