中国に返還される『上野動物園』の双子のジャイアントパンダ、シャオシャオとレイレイ。公開最終日となった2026年1月25日には、24.6倍の倍率をくぐり抜けた約4400人が、2頭に別れを告げたのだが、実は遡ること45年前、福岡にもパンダが姿を見せたことがあった。昭和の“福岡パンダフィーバー”を振り返ると…。
オスのシャンシャンとメスのパオリン
1980年3月23日。福岡空港に降り立つ1機のチャーター機。

檻の隙間から覗くふわふわとした白と黒の模様。「頭が少し見えました!」と思わず叫ぶ記者。機内から慎重に運び出されたのは、2頭のジャイアントパンダだ。

2頭が向かった先は、福岡市動物園(福岡市中央区)。森真吾園長(当時)は「檻に無事に入れるまで、やはり大変な心配と緊張だったんですが、どうやらおとなしく入ってくれました」とホッとした表情を見せていた。

なぜ、貴重なパンダが福岡に来ることになったのか。この前年の1979年、福岡市と中国の広州市は友好都市を締結。

その親善使節として、広州動物園のパンダ2頭が、2か月余りの期間限定で福岡に派遣されることになったのだ。福岡市は、パンダ舎を新設するなど、約2億円をかけて受け入れ態勢を整えた。

親善使節として派遣されたのは、オスのシャンシャンとメスのパオリン。

長旅で神経質になったのか、2頭は吠え合い、なかなか落ち着かない様子だった。

一般公開まで1週間あまり、パンダ舎に目隠しをして新しい環境に慣らす期間が設けられた。

“雨ニモマケズ”パンダ舎前には大行列
そして迎えた一般公開初日。

一番乗りした子どもたちは、自転車で来たと話す那珂川町(現・那珂川市)からのグループ。動物園に到着したのは朝の4時くらいだったという。

いよいよ、一般公開開始。「立ち上がっとる。立ち上がっとる」「ほんとだ~。上手~、上手ね~、かわいい~」「なんか行ったり来たりしとるね~」と見物客はパンダの一挙手一投足に反応するほどだった。

初日を無事に迎えた森真吾園長(当時)は「パオリンもシャンシャンも非常に元気なところ見せてるんでね、皆さん喜んでくれてるようで満足してます」と話していた。

公開初日だけで福岡市動物園には1万8000人近くが押し寄せた。

公開後は、4週連続で日曜日に雨が降るという不運にも見舞われたのだが、それをモノともせずの大行列。

パンダフィーバーは過熱していき、福岡市動物園は、空前絶後の来園者数を記録することになる。

2か月間で訪れたのは約87万人
福岡に馴染んできたパンダも徐々に愛くるしい姿を見せ始めた。好物のササを食べる仕草や自分で水をすくって水浴びする姿。

そしてお尻を掻く仕種のマーキングにさえも「ほらほら、掻きよんしゃ~、お尻ば掻きよ」「ああ、お尻ば掻きよっちゃね~」と見物客からあがる感嘆の声。何をしても「可愛い」を連発していた。

大勢の人がパンダに夢中になりすぎて、園内では迷子が続出する始末だった。

一方、園の外では交通規制が敷かれ、『中国から来た』という理由だけでパンダ公開に水を差す一団もいた。

「通れんと?タクシー入っとるやないかい!パンダちゃん!もういいから帰んなさい!税金の無駄遣いですよ!パンダの檻なんてね、パンダ帰ったらぶっ壊してしまうんですよ!もったいない!」と右翼団体の街宣車は声を荒げた。

2か月に渡って、福岡で行われたパンダの一般公開。この間、福岡市動物園には約87万人が訪れた。現在の年間入園者数を大きく超える数だ。

そして迎えたお別れのとき。森真吾園長(当時)は「う~ん、やっぱりちょっとしんみりしますね。仲良くしてもらって、ありがたいと思っとります」と寂しい表情。

幼稚園児が別れの歌を合唱する。『パンダって何だ!パンダってね、初めて見たんだ、僕の目で。シャンシャン、パオリン、かわいいな。僕らの好きなお友だち~』

福岡の人たちに優しさを投げかけた2頭のパンダ。最後は子どもたちの大合唱に送られ、故郷に帰って行った。
(テレビ西日本)
