一枚の写真から街を再発見する「兵動大樹の今昔さんぽ」。今回の舞台は、阪急石橋阪大前駅。

歴史ある石橋の街を訪れる兵動大樹さんに、一枚の古い写真が手渡された。

兵動大樹さん:阪急石橋阪大前駅からスタートでございます。前も一度来させていただきましたけど、結構歴史が多い街だなと。

■写真には三輪自動車らしき車両が…

スタッフから渡された写真は1964年(昭和39年)に池田市内で撮影されたものだ。写真には三輪自動車らしき車両が並んでいる様子が写っている。

兵動大樹さん:これすごいなあ。三輪自動車言うんかな?三輪自動車ざーっと並んでて、(手前の)ここは古いトラックか。(左端の)ここに像があるんよね。これはあるかもしれんね、まだ。

写真の隅にはモニュメントのような像も写っているが、具体的な場所を特定するのは難しい様子。兵動さんは早速、商店街で聞き込みを始めることにした。

1964年の写真
1964年の写真
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■石橋商店街での聞き込み

石橋の商店街では、創業から90年という老舗精肉店を発見。店主に古い写真について尋ねると「池田はダイハツですね」という大きなヒントが!

そこで出されたイベリコ豚のメンチカツを味わいながら、兵動さんは「ダイハツ町」というキーワードに思い至る。

兵動大樹さん:ダイハツ町があるやん!

兵動大樹さん
兵動大樹さん

■寿司屋で「ミゼット」のヒント

続いて訪れたのは創業70年の老舗寿司店「鮨虎」。ここでも写真について質問すると、店主から貴重な情報が得られた。

店主の竹内さん:ミゼットや。これがハイゼット。

店内には、ダイハツ車のミニカーが飾られており、店主はダイハツの総務部長と親交があったそうだ。

この写真については、「ダイハツの工場ちゃう?」とのこと。ダイハツ工業本社を訪ねることにした。

ミゼットとハイゼット
ミゼットとハイゼット

■ダイハツ「ミゼット」は八百屋や魚屋に人気で累計31万台が生産されるベストセラー

手がかりを得た兵動さんは、「ダイハツ町」にあるダイハツ工業本社を訪問。担当者の下窄さんが詳しく説明してくれた。

ダイハツ「ミゼット」は1957年に発売された小型3輪トラックで、小回りが効き、荷物をたくさん運べることから特に市場の八百屋や魚屋に人気だった。1971年までに累計31万台が生産されるベストセラーとなったのだ。

ダイハツ・下窄さん:八百屋さんや魚屋さんは、原付とか2輪、自転車で市場まで行かないといけない。早いけど何往復もしないいけない。リアカーだとやっぱ時間かかる。だったらバイクのように、リアカーの荷物を積めるので大ヒットした。

「ミゼット」
「ミゼット」

■大阪・関西万博でも大活躍!最新技術と過去の技術をつなぐ「e-スニーカー」

さらに驚くべきことに、ダイハツは最新のモビリティ「e-スニーカー」を2025年8月に発売。

これは最大時速6キロメートルまでしか出ない電気自動車で、歩行者と同じ扱いになり、免許不要で乗ることができる。

e-スニーカー
e-スニーカー

■1970年の大阪万博の年にもダイハツは電気自動車を発売

実は55年前の1970年の大阪万博の年にもダイハツは電気自動車を発売していた。

このように技術革新の歴史を持つダイハツは、日本で最も古い歴史を持つ自動車会社の一つだったのだ。

1970年の大阪万博の年にもダイハツは電気自動車を発売
1970年の大阪万博の年にもダイハツは電気自動車を発売

■知っているようで知らないダイハツの歴史 ダイハツ初のオート三輪

ダイハツで最初に作られたオート三輪「ダイハツ号」(1930年製造)も。

兵動大樹さん:今後ミゼットになっていくな~っていう雰囲気がある。
ダイハツ・下窄さん:これを造った時が1930年になりますので。
兵動大樹さん:戦前ですか?

ダイハツ号
ダイハツ号

■ダイハツの歴史と池田市のつながり

ダイハツ工業は1907年(明治40年)に大阪市北区で「発動機製造株式会社」として創業。現存する国内自動車メーカーで最も古い歴史を持つ。

産業用エンジンの製造からスタートし、1939年(昭和14年)には池田市に工場を建設し、車の生産を拡大。

1965年(昭和40年)には本社も池田市に移転し、その翌年にはその地域が正式に「ダイハツ町」に町名が変更されたのだ。

ダイハツ町の歴史
ダイハツ町の歴史

■写真の場所が明らかに

ダイハツ・下窄さんに写真を見てもらうと、写真に写っているオート三輪は1955年ごろのダイハツ製のものだということが分かった。

手前に写っている「ハイゼット」の上にスピーカーがあるので、「池田市役所では?」ということだ。

池田市役所でもこの写真について聞いてみることにした。

写真に写っていた銅像は、現在の池田市役所の前にあるものと同じであることが判明。写真は当時の池田市公会堂の前で、多くのミゼットが並んでいた風景だった。

現在の池田市役所は1973年に、かつての池田市公会堂があった場所に建てられたのだ。

現在の場所と比較
現在の場所と比較

■池田市とダイハツの絆は今も

現在も池田市とダイハツの関係は深く、一般的な公用車はほぼ100%ダイハツの車だということだ。

また、「エンゼル車制度」として、池田市に半年以上住んでいる市民が、3人目の子どもが生まれた家庭にダイハツの車を3年間無償で提供する制度があるそうだ。

エンゼル車制度も
エンゼル車制度も

■ダイハツ「コペン」がウォンバットに似ているという理由から「ウォンバットカー」寄贈も

さらには、池田市の五月山動物園の名物ウォンバットにちなみ、ダイハツ「コペン」がウォンバットに似ているという理由から「ウォンバットカー」を寄贈されたことも。

兵動大樹さん:ダイハツさん、池田の顔でございますから。昭和のええ時代、感じさせていただきました。

今回の旅は、ダイハツと池田市の繋がりや、そして三輪自動車ミゼットの歴史を再発見する旅となった。

(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」2025年10月24日放送)

ウォンバットカー
ウォンバットカー
関西テレビ
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