まもなく迎える新年、みなさんの住んでいる地域やふるさとでは、どんなお餅を食べますか?
角もちや丸もちを、焼いたり煮たりして、さまざまに味わう文化が日本各地に根付いていることと思います。山形県遊佐町は、東北地方では珍しく丸もちが親しまれる地域で、高齢化や人手不足による餅製造の継続が危ぶまれるなか、地元の食文化を守るため、長年提携関係にある生活クラブ生協とともに餅加工会社を設立した人がいます。昨今の主食用米の値上がりや不安定な生産状況が続く中、地元のお米の生産者などの協力も得て踏み出した、未来への一歩を紹介します。
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餅加工事業を引き継いだ株式会社鳥海風土代表取締役社長の奥山さん(中央)、生活クラブの提携生産者であるJA庄内みどり加工販売課の佐藤さん(右)、関東から遊佐町に移住し鳥海風土で働く辻さん(左)
生活クラブ生協と遊佐町は「お米」でつながった
高度経済成長期の東京・世田谷区で1965年に誕生した「生活クラブ」(生協としての設立は1968年)は、現在北海道から兵庫県までの21都道府県を配達エリアとしている宅配生協です。生鮮食品はもちろん、食品添加物を極力減らした加工食品など、安心できる食材や生活用品を扱っており、そのほとんどがオリジナル(PB)品です。日本海に面した山形県最北の遊佐町とは、お米や野菜などの共同購入をきっかけに交流が始まりました。庄内地域の生産者がつくったものを首都圏の組合員が購入し食べるだけでなく、組合員が生産者のもとを直接訪問し、取り扱う品物の品質や生産方法について意見交換をしたり、生産現場の実情を見聞きし理解を深めたりして、提携関係を築いてきました。
なかでも遊佐町と生活クラブを強くつなげる品目のひとつに「米」があります。お米などの価格や供給が政府の管理下(食糧管理制度)にあった1971年、減反政策に反対する遊佐町の生産者と、流通や生産履歴が確かなお米を求める生活クラブが出会い、取引が始まりました。産地を消費者自身の目で見て確かめるため、組合員が遊佐町などの庄内地域を訪れる「庄内交流会」の第1回目が1974年に開催され、その後交流と対話を重ね、1988年には「共同開発米」の取組みがスタートしました。共同開発米は、品種や栽培方法、価格や農薬の種類・使用回数などを生活クラブと生産者で協議決定する生活クラブオリジナルのお米です。こうして提携を継続し、組合員にとって遊佐町や庄内地域は、特に思い入れのある産地となりました。そしてお米の提携と時を同じくしてお餅の供給も行ない、1983年からは遊佐町の特産品の丸もちの取り扱いが始まったのです。
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第50回目を迎えた2023年の庄内交流会
このままでは丸もちがつくり続けられないかもしれない
生活クラブで扱う丸もちは、庄内地域に複数生産者がおり、地元で栽培されたもち米をつかった食べごたえのある丸もちは全国の組合員に大変人気です。しかし生産者の人手不足や工場の老朽化により、2021年頃に1工場が閉鎖、さらにその後他の提携生産者からも高齢化や人手不足により餅製造を終了したいとの申し出がありました。このまま丸もちの生産が途絶えてしまうと、生活クラブへの供給ができなくなるだけでなく、庄内地域における丸もち文化の継承や、働く場の損失にもつながることが考えられます。報告を受けた生活クラブでは、餅加工事業の継続をどのような形で行なえるかを、生産者や遊佐町とともに検討しました。
こうした状況の中、餅加工事業の継続のために立ち上がった人がいます。後に株式会社鳥海風土(ちょうかいふうど)代表取締役社長となる奥山仁志さんです。遊佐町のお米農家に生まれた奥山さんは、自身が共同開発米の生産者でもあり、遊佐町役場の元職員でもあり、生活クラブもお餅もお米も、長い間身近な存在でした。餅加工事業の相次ぐ終了を耳にした奥山さんは、遊佐産のもち米を加工できる場所がなくなることに不安を覚えたそうです。また生活クラブへお餅の供給ができなくなることへの寂しさも感じました。町内での餅製造を継続するために何か方法はないかと考えていたところ、生活クラブでも製造者を探していたことを知り、自分が生産者になることを決意したといいます。
製造点検で訪問した生活クラブ職員に製造工程を説明する奥山さん
地域の課題が重なりあって新たな餅加工会社の誕生へ
しかしお餅はお正月が供給のピークで、通年需要があまりない食品のため、新たな設備投資をするにしても採算を考えなくてはなりません。一方で餅加工所がなくなることは、餅加工が地元でできなくなるだけでなく、町内でのもち米生産まで途絶えてしまう可能性も含んでいました。 “主食用米に限らず、もち米や飼料用米の生産などさまざまな用途で田んぼを維持・活用することで、地域の自然環境や景観を維持し続けられる”と理解していた奥山さんは、なんとかして餅加工事業を続けられないかと考えていました。
ちょうどその頃遊佐町では、町内に5校あった小学校が1校に統合されました。空き校舎となった4校について、遊佐町は「遊佐町空き校舎利活用基本計画」を策定し、地域住民のニーズや意向などをふまえて地域の活性化につながる活用方法を検討していました。
そこで、空き校舎なら新たに建物を建設する必要はなく、必要最低限の工事と機械があれば、製造を続けられると奥山さんはひらめきました。遊佐町が民間事業者による校舎の活用も検討していたことと、生活クラブ連合会・遊佐町・JA庄内みどり(提携生産者)による「地域農業と日本の食料を守り、持続可能な社会と地域を発展させる共同宣言」(2013年)を締結していたことなどを背景に、奥山さんが代表取締役社長となり、新たな餅加工会社「株式会社鳥海風土」を空き校舎に設立しました。
こうして餅加工所をつくったのは、2003年に建築された旧藤崎小学校です。木材をふんだんに使った木造2階建ての校舎で、給食をつくっていた調理室に餅つき機などを設置して、加工所としました。この餅つき機の一部は、これまで丸餅を製造していた提携生産者から譲渡されたものもあり、技術面でのサポートも受けながら2025年1月頃から丸もちの試作がはじまりました。
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左:旧藤崎小学校の約半分を株式会社鳥海風土が借用しているため、一部教室には学童などが入居し、日中は子どもの声が聞こえることも
右:給食用の調理室の看板はそのまま使用
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左:蒸し上がったもち米を杵つき製法で加工
右:学校の備品はそのまま活用するものもあり、来客用スリッパには校名の印字が
加工所設立にあたっては、遊佐町からの予算執行に加え、生活クラブ連合会や庄内地域の他の提携生産者で組織する「庄内協議会」からの出資が行なわれました。さらに、2019年に遊佐町に建設した生活クラブのメガソーラー「庄内・遊佐太陽光発電所」の売電益を活用した「庄内自然エネルギー基金」の助成金も活用しました。地域の中で、自然資源(太陽光)を活用し、再生可能エネルギーをつくり使い、その売電益を地域づくりに還元するという“ローカルSDGs”の循環が形になったのです。
※庄内自然エネルギー基金について詳細はこちらのプレスリリースをご覧ください
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000482.000002456.html
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庄内・遊佐太陽光発電所で発電した電力は、遊佐町庁舎や全国の生活クラブ組合員の自宅などで使用されています
製造の担い手はすぐに集まった
さて、加工所の設備は整いました。あとはここでお餅を製造する担い手をどのように確保するかが重要です。しかし驚くことにメンバー集めには苦労しなかったといいます。閉鎖してしまった餅加工所に勤めていた人たちに声をかけてみると、断る人はほとんどおらず、プライドを持って続けてきた餅加工を、鳥海風土で継続することに賛同する人ばかりだったというのです。
また新たに餅製造に加わった人もいます。10年前に遊佐町に移住した辻成子さんも、その1人です。千葉県で生活クラブの組合員として、消費材(生活クラブで扱う品物のこと)を利用したり、生産者との交流に参加したりとアクティブに活動していたある時、生産者との懇親会の席で「遊佐においでよ」と声をかけられました。消費材や交流を通じて慣れ親しんだ遊佐町に、ちょうど定年退職を迎えた夫とともに移住することを決めたといいます。移住してからは近所の農家などを手伝ったりしてきましたが、ゼロから何かをスタートすることに興味があった辻さんは、鳥海風土の設立とともにこの事業に参加することにしたそうです。今はベテランに囲まれながら、日々工場での製造に奮闘しています。
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左:袋詰めや計量も手作業で行ないます
右:丸もちにするのは機械ですが、重量や形は人の目で細かくチェックします
もち米生産をつないだのは共同開発米の生産者
そして、なによりお餅づくりに欠かせないのが、原料のもち米です。昨今の米不足で主食用米の増産が急がれ、補助金や政府の方針変更などにより、飼料用米や加工用米、もち米の作付面積が減少するなかで、もち米生産に手を挙げたのは、共同開発米の生産者たちでした。誰より生活クラブをよく知り、組合員との交流も深い彼らは、地元の品種である「でわのもち」の生産を続け、生活クラブにそのもち米でつくったお餅を供給したいという熱い思いがありました。そこで奥山さん本人も含めた5名の生産者がでわのもちの栽培に参加し、今年の新米を無事収穫することができました。
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左:鳥海山の豊かな伏流水が田畑に注ぎ込んでおいしいお米や野菜がつくられています
右:鳥海風土で使用するもち米「でわのもち」の田んぼ(2025年10月奥山さん撮影)
奥山さんがめざす次の夢
実は辻さんは、鳥海風土でのお餅の製造だけでなく、お餅の楽しい食べ方の提案も、奥山さんとともに思案しています。奥山さん曰く、お餅が一番おいしいのはつきたての状態なのだそうです。遊佐の豊かな水ともち米だけを使ったシンプルなつきたてのお餅を、観光で来た人にこそ食べてもらい、そのおいしさと丸もち文化を楽しんでもらえる場所をつくりたい。さらに地域の人たちが集まり交流できる場所をつくるのが、次の目標だといいます。旧藤崎小学校には、まだまだ空き教室があります。いつの日か、つきたてのお餅をさまざまなアレンジで味わえる場所ができるかもしれません。そんなことを楽しみにしながら、生活クラブの「ゆざの丸もち」を食べて、生産者や産地に思いをはせる年末年始にしませんか。
〈製品情報〉
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※一部地域の生活クラブでは取扱いがない場合があります。
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