1972年は札幌オリンピックの影響で「原色系」が流行
1972年(昭和47年)松山市で開かれたスキー用品の展示会。実は前の年が「雪不足」だったため今年こそは…と、例年より早めの秋に開催された。
この年の2月に行われた札幌オリンピックの影響で、スキー用品の流行は『原色系』スキーや靴、ウェアと、商品の大部分が赤、青、黄色などカラフルなものばかりとなりった。
カラフルなスキーカーニバルの様子
1976年(昭和51年)のスキー場では、そんなカラフルなスキーウェアが真っ白い雪の上を交差。旧美川村で開かれたスキーカーニバルの様子だ。
スキー場にリフトができてから10年が経つのを記念して開かれたもので、腕自慢のスキーヤーが大回転競技などに挑戦した。ゲレンデは大勢の家族連れや若者たちで大にぎわい。当時のスキー人気の高さが伺える。

1990年代にスノーボードの人気が爆発!
1990年平成2年の出来事。90年代に入ると県内でもスノーボードを楽しむ人の姿が見られ始めた。
当時のニュースでは、スノーボードを「一風変わった雪の上のスポーツ」と表現しているが、その後人気は爆発。トリックの格好良さやファッショナブルなスタイルが、若者たちの支持を集め、県内にもスノーボードの専門店や量販店が次々とオープンするなど、一大ブームを巻き起こした。

西日本初の屋内スノーボード場「アクロス重信」
女性客:
「待ちに待ってたのでうれしいです」
スノーボードブームの真っ只中にオープンしたのが「アクロス重信」。西日本初の屋内スノーボード場で、オープン初日は入場制限も行われるほど大盛況だった。
またアクロス重信は競技選手の育成にも大きく貢献。バンクーバーオリンピックなどに出場した松山市出身の青野令選手ら、数々の強豪選手がここで技を磨いた。
一方、オープン当初8万人だった利用者は2010年代に入ると、2万人にまで落ち込むなど経営を圧迫。2012年惜しまれつつ閉鎖した。
女性客:
「ここで知りあった友達がいっぱいいるので、会えなくなる子もいるのかなと思うとさみしい」
アクロス重信・社長:
「たくさんのみなさんがお集まりいただくとは思ってもいませんでした。本当にありがとうございました」

