国や自治体の法的な保護のもと、学習指導要領に基づく教育を行う学校は「一条校」と呼ばれ、ほとんどの学校は国公私立問わずこれにあてはまる。
一方でインターナショナルスクール(※インターナショナルスクールの一部は一条校)やフリースクールのように、一条校ではなく独自の教育カリキュラムを採用する学校も存在する。
中でもいま注目を集めているのが、子どもの主体性を尊重し、体験型の学びを中心にすえるオルタナティブスクールだ。そのムーブメントのトップランナーともいえる「湘南ホクレア学園」の教育現場に密着し、子どもたちの学びの姿を追った。
湘南ホクレア学園では、今年の夏、能登で探究合宿を行った。3泊4日の合宿には生徒21人、先生4人、保護者も20人の計45人が参加し、地震や豪雨に被災した輪島市、珠洲市、能登町を回った。
探究テーマは「2050年の日本を考える」だ。合宿を密着取材した。
能登で“2050年の日本”を探究する
「2050年の日本は地球温暖化による豪雨が日常化しているかもしれないし、大地震の可能性もある。そして人口減少と少子高齢化も益々進むでしょう。いまの小学生がこれから生きる“2050年の日本”を先取りしているのが能登なのです」
こう語るのは湘南ホクレア学園の理事長、小針一浩氏だ。
「いま能登は25年後に日本で起こるであろうことを経験しています。小中学生は減少し、企業は人手が足りない。その能登で復興復旧を目指すアントレプレナーシップをもった先駆者たちの話を聞いて、2050年はどうなっていて自分だったらサバイブするために何ができるかを探究するのが今回の合宿の目的です」
「高齢なのに元気でびっくりした」
のと里山空港に降り立った一行がまず向かったのは、能登町にある自然体験村「ケロンの小さな村」だ。
約1000坪の敷地に水路や庭園、パンやピザ工房、そして木製の遊具があり、ドイツの村のような景色に一瞬自分が能登にいることをわすれてしまう。
この体験村は教員を引退した上乗秀雄さんが、66歳から夫婦で開墾してつくりあげた。施設も遊具もすべてが手作りというから驚きだ。入場は無料で、訪れた人たちは自由に自然の中を歩き回る。
到着したホクレアの子どもたちはまずは焼き立てのピザで腹ごしらえし、66歳から村を手作りした上乗さんに「凄い」「高齢なのに元気でびっくりした」と驚きとリスペクトを隠さなかった。
災害時に“クルー”としてサバイバルする
「トイレを流す水が無いときにどうする?」「2階にいて下の階が火事になったら?」
次に向かった同じ能登町にある姫交流センターは、震災直後は地元住民の避難所だった。
震災をみて「被災地のために何かをしたい」と考えたホクレアの子どもたちが、タペストリーを作って贈った先が姫交流センターだった。
センターの周辺は発災から1年以上経っても、まだ生々しい被害の爪痕が残っていた。子どもたちは地域の方々から、被災当時ライフラインが途絶えた中でどう生活をしたのかという話を聞いた。
「地震のダメージをどう感じたか?小さいグループになって意見交換しよう」
宿に着いた子どもたちは夕食後、先生と一日の振り返りを行った。子どもたちは「地元の人みんなで力を合わせていて見習いたいと思った」「トイレやシャワーを自分たちでつくっていた」「ご飯も自分たちで作っていたよね」と感想を述べた。
それを受けて先生は「姫交流センター周りの住民は漁を営む人が多くて、船に乗って漁に出たら何か月も船上にいるから自分で何でもできるようにトレーニングされているんだ」と続けた。
そして先生は「ホクレア号は船。皆も船乗りだね」というと、子どもたちは「クルー(船員)」として、日頃からサバイバル術を学ぶことの大切さを深く感じ取っていた。
復旧復興に取り組む人々と出会う
翌日は珠洲市にある珠洲ホースパークを訪れた。ここは競馬のサラブレッドたちが余生を送る場所だ。
しかし経営者から「競走馬のほとんどは3歳までに一勝できなければ、引退後屠畜されてペットフードになる」と聞いた子どもたちは、馬の命をどう考え、自分たちが馬のために何が出来るのか考えた。
そして輪島市の總持寺では地震により壊れたままの石造物、黒島地区では地震により海岸が隆起し漁に出られなくなった漁港をみた。
一方、災害に強い里山をつくるために間伐を行う「のと復耕らぼ」の活動や炭づくりによって地域創生を目指す「大野製炭」。地震により地盤が沈降した地域で酒造りによる耕作放棄地の未来づくりを目指す「数馬酒蔵」の話も聞いた。
豪雨により大きな被害を受けた珠洲市の大谷地区では、山崩れや洪水跡を見学した。
また「現代集落」では過疎化の激しい地域で未来の日本の生活を考えた。子どもたちは、昼間は各地で復興復旧に取り組む人々の活動を見て話を聞き、夜は一日を振り返りながらそれぞれが思ったこと、感じたことを語り合った。
「私はいま政治家になっています」
そして能登合宿から一か月後、ホクレアでは能登合宿をどう感じたか、子どもたちによるプレゼンテーションが行われた。
まずは子どもたちによるディスカッションが行われ、「南海トラフが起こって経済がめちゃくちゃになるかも」「ではどうすればいいんだろう」「日本のことを世界に知らせて迎えに来てもらう」と意見が飛び交った。
ある子どもが「皆で生き残れたらいいな。だからチームワークが必要だし、海外の友達も作るのがいいな」というと、先生はこう語った。「世界の言葉を学ぶのは南海トラフに備えていると言ってもいいね」
そして子どもたちは、「私は夢をかなえました。私はいま○○です」というテーマで自分が思い描く未来の自分の姿を発表した。
「年収10億円を稼いでいて、できるかぎり寄付をしてたくさんの人たちを笑顔にしたい」
「バスケットボールで世界中に友達を作る。困ったら助けてもらう。向こうが困ったら助けに行く」
「シェフになって世界中を旅してその地域の食材で料理を作って笑顔にしたい。能登では笑顔で頑張っていた人たちがいるのをみたから」
またある子どもは「私は政治家になっています」と言った。「能登でお寺を直すときに国がすべてでなく住民も払わなければいけないと聞いて、悲しくなりました。だから政治家になって変えようと思いました」
「私は建築家」という子どもは「能登で家が崩れて燃えたのを見て悲しいなと思った。燃えにくく倒れにくい家を建てたいなと思った」と語った。
現場にいることで新たな気づきと学びを
この合宿には、石川県副知事の浅野大介さんも協力した。
「能登ではもっと楽しいコミュニティをつくろうという人たちがたくさんいます。子どもたちにはそのエネルギーを感じてもらいたい。普段とはまったく違う所にいることで、いつもとは違う自分に出会えることもあると思います。教科学習を筋トレに例えるなら、実際の現場は試合のようなもの。能登に探究の材料はいくらでもあります。ぜひ日本中から子どもたちに来てもらいたいです」
ホクレアの能登合宿はまさに教室から飛び出し、現場でみて聞いて感じる学びだった。
探究学習はともすれば形式が先行しルーティン化してしまいがちだ。しかしホクレアの探究には、常に現場にいることで生まれる新たな気づきと実感を伴う学びがある。
今回の合宿を通して子どもたちは能登の人々や情景に直接触れながら、自分たちが生きていく「2050年の日本とは」という問いを深めることができた。
