過疎化が進む地方で、「学校をつくる」という挑戦が地域を変え始めている。
和歌山・田辺市の山あい、世界遺産の熊野古道を見渡せる場所に昨年誕生した「うつほの杜学園」。廃校になった公立小学校の校舎を活用し、地域と世界をつなぐ “グローカル”な学びの拠点として、2025年4月に開校したこの小学校を取材した。
「子どもの教育の選択肢は自分でつくる」
「ワインの輸入商として長年関わってきたイタリアでは、人々が“テリトーリオ(地域性)”という言葉をとても大事にしていました」
そう語るのは、「うつほの杜学園」の創設者で理事長の仙石恭子さん。「日本も同じくらい歴史があるのに、過疎化が進んで地域の魅力やアイデンティティが失われつつあります。この違いはどこから来るのか、自分に何ができるのかをずっと考えていました」
設立の契機となったのは、自身の教育経験もある。地元の和歌山で「普通の偏差値教育」を受けた仙石さんは、慶應大学SFC(湘南藤沢キャンパス)で出会った探究的な学びに衝撃を受けた。「本当に目からうろこというか…なぜこのような学びをもっと早く受けられなかったのか」
この思いは、やがて都市と地方の教育格差への問題意識へと変わり、2020年のコロナ禍を機に和歌山へ帰郷を考えた際、「子どもの教育の選択肢がない。ならば自分でつくるしかない。教育をつくれば地域も変わる」と学校設立を決意した。
当初は「本当に実現できるのか」と懐疑的な声も多かった。
しかし、仙石さんの粘り強い働きかけで支持は広がり、2022年11月には地域住民全員の合意による「誘致要望書」が田辺市に提出された。この声を受け、行政も迅速に応じ、「どんな人でも受け入れる」という熊野古道の地域文化が後押しした。
「グローカル」を体現する教育カリキュラム
「イタリアでは小さな村でも地域に根ざしながらグローバル展開をしていて、世界中からお客さんが来ます。日本でも地域を持続可能にするには、世界とつながる感覚を持つ子どもを育てる必要があります」
仙石さんが目指すのは、グローバル+ローカル=「グローカル」。うつほの杜学園小学校は一条校(※)として学習指導要領に準拠しながら、教育カリキュラムは従来の枠にとらわれない。国際バカロレア(IB)(※※)の候補校であり、その考え方と探究型のプロジェクト学習を柱にしている。
(※)国が学校教育法に基づき、正式に認めた教育施設
(※※)スイスの国際バカロレア機構が提供する教育プログラム。世界160以上の国と地域の大学で入学資格として採用されている
設立2年目となった現在、在校生は1年生から4年生まで26名だ。
取材当日は「KUMANO教育会議」と名付けられた探究学習の発表会が開かれていた。学年ごとに探究の年間テーマが設定されており、1年生は「生命」、2年生は「水」、3年生からは「山」「道」「エネルギー」「地球」と続く
当日2年生は防災をテーマに「防災バッグづくり」や「土砂避難ゲーム」「地震ボードゲーム」などを発表。1年生は「自分とは何者か」をテーマに「自分図鑑」をつくった。
ウェルビーイングを大切にする学校運営
学校では「みんなが安心・安全に過ごせるか」、ウェルビーイングを大切にする。校則は固定されておらず、週1回の全校会議で子どもたち自身が話し合いルールを決める。
あるとき、ぬいぐるみがないと落ち着かない児童が持参したところ、みんなが持ってくる状況となり、取り合いになってしまった。そこで皆で話し合い、「学校にいる間はぬいぐるみ置き場に置く」と決めた。
授業時間は45分から40分に短縮し、その分休み時間を延ばした。わずかな調整だが「学校の空気が一気に変わった」と仙石さんはいう。子どもにも教師にも余裕が生まれ、教職員が午後5時に退勤できる体制も整えたことで、教師自身のウェルビーイングも確保されている。
「多様性」を前提に支援を必要とする子どもも含め、理念に合致すれば誰でも受け入れる。入試は学力ではなく「理念への共感」を重視。その結果、主体性の高い多様な子どもたちが集まり、保護者も学校教育に積極的に関わっている。発表会にも多くの保護者が訪れ、議論を交わしていた。在校生徒の約6割は「教育移住組」だ。
教育移住を決意して「学校が大好き」に
和歌山市在住だった上田さん一家は、長女Aさんの転校をきっかけに田辺市に移住した。Aさんは「HSC(※)」の特性があり、マンモス校の環境が合わず、3年生のときに不登校に。
「個性を活かせる学校を探す中でこの学校に出会い、理想の学校だと転校を決めました」という上田さん一家は、当初母子のみだったが、大阪勤務だった夫も退職し、家族全員で移住した。
(※)Highly Sensitive Child(生まれつき感受性が強く、音や光などの刺激に敏感な特性をもつ子ども。5人に1人はいるとされる)
少人数制で教師と生徒が対等な関係であるこの学校で、Aさんは「学校が大好き」になり、心が安定し自己表現できるようになった。同時に入学した長男も体験型の授業を楽しんでいる。
保護者に各教科の先生からのメッセージや授業中の動画が届く「ラーニングヒストリー」も、上田さん一家にとって嬉しい取り組みの一つだ。
「子どもが自ら選ぶことを大切にする学習スタイルで、自分で英語アプリを使ったり、問いから調べ物をしたりと、自発的な学びに繋がっています」
教育移住を「一緒に挑戦しよう」と決めた
横浜から教育移住してきた山本さん一家の長男Bくんは、この4月で2年生に進級した。ご夫妻は「子どもには人間力を磨いてほしい」と願い、型にはめた教育より実体験を通じた学びを重視する環境を探していた。全国の様々な学校を調べた末、「子どもの思いを尊重し、多様な体験をさせる」姿勢とグローカルな理念に共感し、うつほの杜学園小学校を選んだ。
入学から1年がたち、両親から見たBくんの成長は著しい。
「入学して1か月もすると自発的になり、家庭でも『なぜ?どうして?』と質問が増えました。先生方の子どもに向き合う姿勢や熱意が、子どもたちの安心感と意欲につながっているのだと思います」
山本さん一家は教育移住にあたって、「子どもだけでなく親も一緒に挑戦しよう」と決めた。移住後は地域の人々の温かさや支えに感謝しているという。
残る課題と全国に広がる可能性
もっともこの学校には課題もある。年間約100万円という学費は、誰もがアクセスできるものではない。仙石さんはこの課題を認めつつ、「この教育モデルを広げるために公的支援などの仕組みを整え、より多くの子どもが学べる環境をつくりたいです。市民が立ち上げた学校を公が支える公設民営の仕組みが理想です」と語る。
地域から始まった小さな挑戦は、教育のあり方そのものを問い直している。子どもたちを中心に据えた学校づくりは、やがて地域と社会を変えていく可能性を秘めている。
(写真提供:うつほの杜学園)
