高市首相が「台湾有事は日本の存立危機事態となり得る」との見解を示して以来、日中関係の冷え込みが顕著となっている。
日本国内においても、台湾海峡情勢に対する懸念は強まっており、これに連動して中国側の対日姿勢も硬化しているように見える。一見すると、かつてないほど緊張感が高まっているかに見える日中関係だが、中国側の対応策を冷静に分析すると、その内実には抑制的な姿勢が透けて見える。
中国の“抑制的”対応
中国側が日本に対してこれまでにとった措置は、その内容に大きな特徴がある。
例えば、国民の訪日旅行に対しては「禁止」ではなく「自粛」を促すに留まっている。
また、一部水産物の輸入停止措置を発動したが、これは福島第一原発の処理水放出問題に際して実施された措置の「再」停止という形をとっている。
ここで注目すべきは、これらの措置が「禁止」という強制力のある強い手段を避け、「自粛」という曖昧な表現にとどめている点である。過去の政治的対立局面では、より強硬な経済措置や外交的圧力が用いられることもあったが、今回の対応は極めて抑制的と言える。
また、中国にとって日本の水産物輸入停止は国内の消費者や流通業者にも影響を与えるが、日本経済の基幹産業に比べればそのダメージは限定的である。
中国政府が、より広範な産業やサプライチェーンに影響を及ぼす措置、例えば日本からの半導体や精密機器の輸入制限、あるいは中国に進出する日本企業への直接的な規制強化といった手段を選ばなかった事実は、中国の戦略的な意図を強く示唆している。
この抑制的な対応の背景には、複数の要因が複雑に絡み合っていると考えられる。
中国経済の冷え込み
第一に、現在、中国は米国との戦略的競争が激化の一途を辿る中、国内経済の構造的な冷え込みという大きな課題に直面している。
若年層の高い失業率、不動産市場の低迷、地方政府の債務問題など、解決すべき国内問題は山積している。このような状況下で、日本との経済関係を必要以上に悪化させることは、中国自身の経済回復の足枷となりかねない。
日本は中国にとって主要な貿易相手国の一つであり、技術や資本の重要な供給源でもある。
中国は、国内経済の安定を最優先する現段階において、日本との経済関係悪化というリスクを必要以上に負いたくないという本音が見え隠れする。したがって、政治的な対立は示しつつも、経済的な大動脈は維持したいという、中国政府の現実的な判断が働いているのである。
中国のイメージ悪化への懸念
第二に、国際社会における中国のレピュテーション(評判)戦略が挙げられる。
特にトランプ政権が保護主義的な「アメリカ・ファースト」路線に舵を切り、国際的な自由貿易体制に対する懐疑的な姿勢を強める中、中国は自らが自由貿易体制の「守護神」であるというイメージを諸外国、とりわけ新興国や途上国(グローバルサウス諸国)に対して積極的にアピールし続けている。
この戦略的目標を鑑みると、日本に対する過度で報復的な対抗措置は、中国の対外イメージを大きく損なうリスクを伴う。
高市首相の発言に対する報復という名目であっても、経済的な制裁措置は「大国による力の行使」と見なされやすく、グローバルサウス諸国などから中国警戒論が助長されるリスクを孕む。
中国が他国の対中経済依存を利用して政治的圧力を加える姿勢は、国際社会における信頼を低下させる要因となる。中国は、国際社会、特に自らの影響力拡大を図りたいグローバルサウス諸国に対して、「責任ある大国」としてのスマートな姿を印象付けたい狙いがあるが、台湾問題などに関連し、そこに1つのジレンマがある。
計算された“スマートな”対応
中国が今回とった「自粛」や「再停止」という措置は、日本に対して政治的な不満を示しつつも、経済的な実害を最小限に抑え、かつ国際的な評判を意識した、計算されたスマートな対応とと捉えられる。
しかし、この抑制的な姿勢がいつまで続くかは不透明である。国内のナショナリズムの高揚や、米国との対立がさらに激化した場合には、中国はより強硬な手段に出る可能性も依然として否定できない。
日中両国は、政治的対立と経済的相互依存という二律背反を抱えながら、今後も緊張と安定のバランスを模索し続けることになるであろう。中国の抑制的な措置は、現在の地政学的な文脈と国内経済の事情を反映した現実的な判断であり、この微妙なバランスの上に日中関係は立っているのである。
【執筆:株式会社Strategic Intelligence代表取締役社長CEO 和田大樹】
