2025年10月、116人の野球選手がプロ野球NPBのドラフト会議で指名された。その一方で、ドラフト指名されずに“プロ野球選手”という幼いころからの夢を諦めた選手もいる。24年シーズンからNPBイースタンリーグに参加しているオイシックス新潟アルビレックスBCの藤原大智選手もその一人だ。NPB入り断念の背景について、17年前に同じ決断をした松坂大輔さんの弟・松坂恭平さんとともに話を聞いた。

藤原大智選手が独立リーグに進んだ理由

兵庫県出身で、島根県の野球強豪校・立正大湘南高校から創価大学に進んだオイシックス新潟アルビレックスBCの藤原大智選手(26)。

大学4年生の時に、NPBの球団から調査書が届くなどドラフト候補選手にも名を連ねていた。

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大学でドラフト指名の夢が叶わなかった藤原選手は、大学の先輩でもある野間口貴彦さんの誘いを受けて当時、BCリーグに所属していた新潟アルビレックスBCへの入団を決めたという。

「社会人野球だと入ってドラフト指名まで2年かかるが、独立リーグだと1年後に勝負ができる。少しでも早くドラフトにかかりたかったので独立リーグ入団を決めた」

独立リーグの待遇

一方で、平成の怪物こと松坂大輔さんを兄に持つ松坂恭平さん(43)も大学卒業後に独立リーグに挑戦した一人だ。

2005年にプロ野球独立リーグとして誕生した四国アイランドリーグのトライアウトを受け、2006年に愛媛マンダリンパイレーツに入団した。

四国の4球団で始まった独立リーグだが、2025年時点で日本独立リーグ野球機構に加盟しているのは、6リーグ27チームまで拡大している。ただ、独立リーガーの待遇は厳しいと藤原選手は話す。

「独立リーグは基本的にシーズン中しかお金が出ない球団が多い。シーズン中は野球をしてお金を頂き、オフシーズンはアルバイトをして生活している。シーズン中はアルバイトができない規定があるところが多く、平均給与は月10~20万円。ここからヒット1本いくらとかインセンティブがつくが、月の収入は安定しないのでプレッシャーがある」

給与が少ないときには「先輩やサポーターなどのファンが食事に連れて行ってくれる」と明かす。

NPBへ行けるのは一握り

過酷な環境下でも“プロ野球選手”になる夢を追い続けてプレーを続ける独立リーガー。2025年も独立リーグからNPBへの道を切り開いた選手がいるが、それはほんの一握り。

松坂さんは「多くの選手はNPBに行きたいという思いで来ているが、そこに行けるのは1%にも満たない。99%の人は結果的にそこで諦めるということになる」とその厳しさを語る。

藤原選手が所属するオイシックス新潟アルビレックスBCは24年シーズンからNPBイースタンリーグに参加し、待遇面では大きな変化があったという。

「年俸制になり1年を通して給料が出るようになったので、アルバイトをしなくてよくなり、シーズンオフでも練習に専念できるようになった。独立リーグ時代は弁当や水を持参したが、食事や飲み物も出るようになり、環境が大きく改善した」

その一方で、オイシックスも「夢を叶える場であり、諦める場」であることに変わりはなかった。多くの選手が悩み、決断せざるを得ない「夢を諦める」こと。

藤原選手は昨季まで外野手として活躍したが、今季は高校時代にプレーしていた内野手に転向。NPBへ入るために最後までもがいた。しかし、今季も藤原選手に球団から調査書が届くことはなく、NPB入りの夢を諦める決断をした。

「年齢的なことやここ数年調査書が届かなかったこともあり、NPBに行ける可能性を自分で考えて決断した。やり切ったとは思って、辞めますと言った。それでもドラフトを見ると複雑な気持ちになる」

兄・松坂大輔さんの一言で引退決断

実は、松坂さんも同じ25歳でNPB入りを諦める決断をした。

「僕も独立リーグでショートのレギュラーで出ていた。正直、経験があるので、上手な高卒選手が入団しても負けなかった。ただ、僕がいるとその若い選手が試合に出場できない。仮に25歳で育成指名されても、NPBの球団にとってメリットはないと思った。そう考えると、ポジションを開けてあげないと、若い選手の芽を摘んでしまうと考えた」

後輩育成と自身の夢との狭間での葛藤があったことを明かす。そんな松坂さんが引退する決断をしたのは、兄・松坂大輔さんの一言だったという。

「いろんな人に相談すると『ちょっとずつ上手くなっているんだから続けた方がいい』という意見が99%だった。最後に兄に相談したら『辞めろ』と言ってきた。『NPBに入ってきて1年2年で退団することになって、今何をしているかわからない人は俺の周りにもいっぱいいる。戻れるところがあるなら復職して一生懸命働いた方がいい』と言われて決断した」

実際に、2025年のドラフト会議では116人が指名されたが、ドラフト会議時に25歳以上だった人は本指名で3人、育成指名を入れても5人しかいなかった。

25歳という年齢が一つの大きなポイントとなりそうだが、松坂さんは「もう1年やってもトータルで考えたらあまり関係ないと今は思う」と話す。

それでも、藤原選手は「もう少しこうしておけばというのはあるが、辞めるときにそれはみんな思うので、みんなに言ってもらえて辞められるのは前向きに捉えている」と自らを納得させるように話した。

夢を追い続けた2人の新たな道

将来は指導者になることも視野に入れている藤原選手は、退団後に社会人野球入りを目指すという。その狙いについても話してくれた。

「プロになる夢は諦める形になったが、体はまだ動くし、野球は好きなので、プロに指名される以外のカテゴリーは全部経験したい。社会人野球をやったことがないので、そこをやりたい」

松坂さんは現在、自身で起業してスポーツメーカーの社長として活躍しているが、それでも「野球以上に情熱を燃やせるものはない」と強調する。

「プロ野球選手になりたかった。野球をやっているときは24時間365日ずっと野球がうまくなりたいという情熱があったが、それに代わるものはなかった。ただ、起業してそれに近い感じはある。プレーヤーではなく、起業して勝負している。2歳上に兄がいて、野球では勝てなかったが、違うフィールドで勝てると思ってやっている」

夢を追い続けた2人。「自ら考えて自分のやり方を見つけ、プロセスを考えることができた」と話す藤原選手に対し、松坂さんは「夢を追い続ける方が楽だなと思った。むしろ諦める方が辛かった。勝ちに不思議の勝ちがあって、負けに不思議な負けがないのと一緒で、藤原さんは指導者になったときに、プロ野球選手になりたいという子に自身の経験を話すことができる」と次のステージに向けてエールを送った。

夢を諦めることへの葛藤の先で戦い続ける松坂さんの言葉を受け、藤原選手も新たな夢に向かって走り出す決意を新たにしていた。

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NST新潟総合テレビ
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