11月28日で4期16年の県政に幕を下ろす湯崎英彦知事。
育児休暇をめぐる賛否、鞆港架橋計画の撤回、転出超過への対策など、“初めて”と向き合い続けた年月だった。退任を迎える知事に、テレビ新広島の加藤キャスターと岡野キャスターが思いを聞いた。

男性育休は“当たり前”になったのか

2009年、44歳で初当選した広島県の湯崎英彦知事。

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2010年には、3人目の子どもの誕生を機に、都道府県知事として初めて育児休暇(以下、育休)を取得した。まだ“男性が育休を取る”という選択肢がほとんど語られていない時代だった。

「子育てにやさしい社会へという方向に動いていったらいいなと思います」
そう語っていたが、予想外の事態に…。
県には165件の意見が寄せられ、8割以上が批判。当時、大阪府知事だった橋下徹さんから「世間知らず」と断じられるほどの逆風だった。

あれから15年、広島県の男性育休取得率は劇的に向上。11月28日に任期を終える湯崎知事に、当時の心境を聞いた。

退任前、テレビ新広島のインタビューに応じる湯崎知事
退任前、テレビ新広島のインタビューに応じる湯崎知事

ーー時代は変わったなと感じますか?

湯崎知事:
今はもう広島県で男性の半分以上が育休を取っています。ようやくあるべき姿になってきたのかなと。でも女性は9割以上ですから、まだ伸びしろはあります。
育児休暇は“休暇”ではありません。本当に、家事・育児とやることがあるんです。まだそこに至っていない部分があるので、さらに“質の向上”を進めなければいけない。

ーー育休を取るには勇気が必要だったのでは…。決断した最大の理由は?

湯崎知事:
最大の理由は「まず隗(かい)より始めよ」という思いです。でもまさか、同僚の知事から批判が来るとは思いませんでした。後ろから鉄砲で撃たれたような感じでしたね。
知事会でも「男性育休を推進しましょう」と言っていたのに、なぜ止めようとするのかと。
でもよく考えると、“育休は特権だ”と思われていたんでしょう。特権だから“知事は最後に取るものだ”と。そうじゃない。当たり前にみんなが取らなきゃいけないものだからこそ、率先垂範しました。

「世間知らず」と言われた日から15年

物事は、それを言い出した者から率先して実行すべきであるーーそんな思いで育休を取得した湯崎知事。育休中、批判を浴び続けた。

批判の中心にいた当時の大阪府知事・橋下徹さん(左)
批判の中心にいた当時の大阪府知事・橋下徹さん(左)

ーーその後、橋下さんとの“雪解け”は?

湯崎知事:
育休を取ったのは10月。1カ月ほど論争が続きました。その後、官邸で知事会がありまして、その場で橋下知事から「すいませんでした」と謝られました。彼も本当はよくわかっているんです。

番組コメンテーターで社会情報メディア論が専門の広島大学大学院・匹田篤准教授は「僕の周りでも育休を取る男性が増えています」と話し、子育てしやすい環境づくりがどの程度進んだのか、知事の認識を尋ねた。

湯崎知事:
制度や企業側の理解が進んで、育休はかなり取りやすくなりました。ただ、まだ“取るだけ育休”の実態もあると思います。
家事・育児の分担は今も女性に偏っています。男性が家庭で当たり前に役割を担えば、女性の活躍はもっと進む。所得も増えて、実は少子化の解消にもつながるんです。だから私は“家庭での男性活躍”を進めようとしてきました。

育休を取得し、娘と手をつないで歩く湯崎知事
育休を取得し、娘と手をつないで歩く湯崎知事

1期目の2010年に育休を取った湯崎知事の姿勢は、その後の県の取り組みにも影響した。広島県では男性育休取得率が年々上昇し、今では定着している企業もある。
批判の声にさらされても「当たり前を当たり前にする」と貫いた決断は、社会の価値観が変わるきっかけの一つになった。

【湯崎県政16年を振り返る②】へ続く

(テレビ新広島)

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