これまで謎に包まれていた駿府城の天守閣。その詳細を伝える資料が2024年の見つかり、静岡市が100万円で譲り受けました。謎に迫り、駿府城再建につながるのでしょうか?

鈴木櫻子 記者:
徳川家康が余生を過ごしたここ駿府城。どんな天守があったのか謎に包まれてきましたが、新たな史料が見つかり研究が大きく前に進みます

大御所となった徳川家康が晩年を過ごした駿府城。

これまで城の構造が書かれた絵図は発見されず、長い間ベールに包まれていました。

佐藤記者(1987年):
この辺が昔天守閣があったであろうところだと思います。天守閣を再現するとなりますと、いかに史実に忠実に再現するかだけではなく巨額の復元費用に対する市民のコンセンサスも必要になります

有志によって何度も天守閣再建をめざす動きが現れましたが、詳細について書かれた資料はなく、その機運は浮き沈みを繰り返してきました。

現在、静岡市が公開している駿府城のイメージはあくまでも有力といわれる説に基づくものです。

そうした中、新たに見つかったのが古文書。

静岡市歴史博物館・鈴木将典 学芸員:
こちらが駿府城の絵図になります

実はこちら、これまでになく細かく駿府城の内部を記した絵図です。

山梨県内の男性が所有していて、2025年8月に貴重なものと判明。

10月、静岡市が100万円で譲り受けました。

静岡市歴史博物館・鈴木将典 学芸員:
ここまで詳しく描かれているのは珍しい。家康が暮らしていた本丸の空間がよく描かれていて駿府城の詳しい構造がよくわかる絵

発見されたのは姫路藩主酒井家に伝来した「駿府御城内絵図」で、江戸時代中期の作成とみられます。

最も小さなお堀に囲まれたなかには本丸が。

家康の御殿や大奥があったとされています。

さらに、本丸を取り囲むように家臣が住んだ屋敷が確認できます。

また、米蔵も確認できるなどこれまでに知られている絵図よりも詳細に描かれています。

なかでも専門家が特に注目しているのが“謎に包まれてきた”天守の構造です。

静岡市歴史博物館・鈴木将典 学芸員:
天守台の上に4つの廓があり、さらにその上に天守が乗っている。詳しい構造が出ているものは非常に珍しいので、今後調べていくにつれて駿府城の姿がわかってくるのでは

天守閣を乗せる石垣=天守台は日本一大きなものであったことがもともと分かっていましたが、それぞれの角には4つの櫓が立っていたことが確認されました。

絵図は当時の城の姿を映すとともに、家康がどんな意図を持って城を築こうとしたのかに迫る糸口となりそうです。

この絵図は静岡市歴史博物館で2026年1月7日から公開されます。

テレビ静岡
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