性的搾取事件の文書公開で疑惑再燃
「吠えない犬」にトランプ大統領はかみつかれるのか?
史上最長の政府閉鎖がようやく解除されるのを待っていたかのように12日、米下院監視委員会が欧米の有力者を巻き込んだ未成年者の性的搾取事件「エプスタイン事件」に関わる文書の一部を公開した。
民主党議員が先に数通を公表し、その後、共和党が多数を占める委員会が「全体像を示す」として、約2万ページに及ぶメールや記録を追加公開したものだ。
下院監視委の民主党議員団は、この公開の直後にX(旧ツイッター)でこう投稿し、事態の深刻さを強調した。
「速報:下院監視委員会の民主党は、ジェフリー・エプスタイン元容疑者の関係者から提供された新たなメールを受け取りました。そこには、ドナルド・トランプと、エプスタインの凄惨な犯罪に関する彼の認識について、重大な疑問を提起する内容が含まれています。ご自身の目で確認してください。もはやこの隠蔽を終わらせ、文書を公開する時です」
とはいえ公開された文書の多くは断片的で、トランプ大統領の違法行為を示す証拠は見つかっていない。しかし、その中の一通、専門家や記者の目を引いたメールがあった。
2011年4月2日、ジェフリー・エプスタイン元容疑者(後に拘置所で自殺)が、事件で共犯として有罪判決を受け現在服役中のギレーヌ・マクスウェル受刑囚に宛てて送ったメールである。
「気づいてほしいのは、“吠えなかった犬”がトランプだということだ……。(被害者)は私の家で彼と何時間も過ごしていたのに、彼の名前は一度も挙がっていない。“police chief”の件もそうだ、などなど。私は75%そこまで来ている。」
名探偵ホームズのセリフ「吠えない犬」
この「吠えなかった犬」という比喩は、推理小説の名探偵シャーロック・ホームズの有名な台詞に由来する。
短編『白銀号事件』で、ホームズは「夜に犬が吠えなかったこと」が事件の核心だと指摘する。番犬が吠えなかったのは犯人が犬によく知られた人物だったからだというのである。
こうした逆説的な推理は、英語圏で「沈黙そのものが手がかりだ」という意味の慣用句として広く使われてきた。
エプスタイン元被疑者は、これをトランプ大統領に当てはめたわけだ。
メール中には“police chief(警察署長)”という言及もあるが、具体的な人物や文脈は不明確である。ただ、複数の“沈黙”が彼にとって意味深長な兆候に見えていたことは確かだ。
意味深長な?複数の“沈黙”
この“被害者”は匿名で扱われている女性で、今年、自ら命を絶った。生前、彼女は「トランプから不適切な行為を受けたことは一度もない」と繰り返し証言し、司法当局の捜査でも、トランプ大統領の犯罪関与を裏づける証拠は一切確認されていない。
とすれば、彼女がトランプ大統領の名を挙げなかった理由を「事実がなかったから」と解釈するのが自然だろう。しかしエプスタイン元被疑者はそう受け止めなかった。むしろ“語られなかったこと”に異様な意味を読み取り、疑念を膨らませていたように見える。
この比喩は今になって文脈を離れて独り歩きを始め、政治的解釈が次々と付け加えられている。民主党議員がこのメールを強調して公開したことで、司法的には無意味な沈黙が、政治の世界では“疑惑の入口”として扱われ始めたのだ。
沈黙は証拠ではない。しかし政治の世界では、沈黙が“怪しさ”として逆手に取られる。皮肉な現象ではあるが、これこそがワシントン政治の現実である。
ホワイトハウスは「完全な偽情報だ」と一蹴している。それでもエプスタイン元被疑者の一文は、米政局の新たな“火種”として扱われ始めている。沈黙が疑念を呼び、疑念が政治の炎を大きくする──今回の騒動はその典型例だ。
トランプ支持者だった議員が叛旗
さらに、これまでトランプ大統領の最も熱烈な支持者の一人とみなされてきた、ジョージア州選出の共和党下院議員マージョリー・テイラー・グリーン氏までもが、今回のエプスタイン文書を巡って叛旗を翻した。
グリーン氏は文書公開を強硬に求めたことで大統領の怒りを買い、Xで自らのテキストメッセージを公開して“圧力に屈しない”姿勢を鮮明にした。
保守派の象徴的存在が離反の兆しを見せたことは、エプスタイン問題の政治的影響が共和党内部にまで波及しつつあることを物語っている。
「トランプは“少女たちを知っていた”──公開された新メールが示す内容」(AP通信・12日)
「謎めいたエプスタインのメール、トランプの否定に新たな憶測の波を呼ぶ」(英紙ガーディアン電子版・12日)
下院監視委の民主党リーダー、ロバート・ガルシア議員は「トランプが隠そうとすればするほど、我々は新たな情報を発見する。司法省はエプスタイン文書を全面公開すべきだ」と圧力を強めている。
再燃する“エプスタイン疑惑”
全面公開が実現するかどうかは不透明である。しかし今回のメール公開をきっかけに、いったん鎮まっていた“エプスタイン疑惑”が再燃しつつある。
政府閉鎖が解けたばかりのワシントンで、最も大きな話題をさらったのは、皮肉にも“吠えなかった犬”の静かな存在感だった。ただでさえインフレなどで支持率が急降下する中、その“沈黙”が、いま、トランプ大統領にかみつこうとしている。
(執筆:ジャーナリスト 木村太郎)
