社会主義者の市長は何もできないのか?

ニューヨークで34歳のゾーラン・マムダニ氏が市長に当選した。イスラム教徒で自ら「民主社会主義者」を名乗る若い政治家の登場に、早くも「社会主義者に都市を運営できるのか」と、右派だけでなく主要メディアの多くも懐疑的な論評を投げかけている。

しかし、この問いはまったく新しいものではない。90年前にも同じ非難が繰り返された。対象は、1934年から12年間にわたってニューヨーク市長を務めたフィオレロ・ラガーディア氏だ。

「赤い市長」ラガーディアの功績

マンハッタンから約15キロ、渋滞がなければ車で30分以内の立地のラガーディア空港を利用したことのある人も多いはずだ。市長としての高い功績を讃えて命名されたものだが、その名市長も、共和党員でありながら、社会主義者さながらの政策を実行したことから、就任当初は「赤い市長」と呼ばれた。

フィオレロ・ラガーディア市長(1940年)
フィオレロ・ラガーディア市長(1940年)
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当時ニューヨーク・タイムズ紙は、ラガーディア市長を次のように評していた。

「彼は、意図としては善意に満ちているかもしれないが、実際には、危険であったり実行不可能であったりする場当たり的な提案をもてあそぶのが好きなようだ。いつも何かしら“社会主義的なおもちゃ”を手にしていたいようで、いまのところはそれが市営発電所である」
(1935年1月2日社説)
 

また、対立候補は「同志ラガーディア」と嘲った。

ラガーディア空港
ラガーディア空港

だが、彼の統治の成果は今も街の至るところに残っている。高速道路網、地下鉄の公営化、クイーンズブリッジ団地、ラガーディア空港──いずれも彼の時代に形づくられたものだ。市民の生活水準は飛躍的に向上し、失業者には仕事が、子どもには遊び場が、労働者には医療と文化が与えられた。今日のニューヨークの骨格は、彼が築いた公共事業によってできている。

ラガーディア市長は、社会主義者ではなかったが「不正と闘うなら急進と呼ばれても構わない」と語り、理念を恐れずに行政へ落とし込んだ。

重要なのは、社会主義的理想を運動ではなく実務にした点だ。彼は労働組合や芸術家、保健医と手を結び、市政を「実験の場」として使った。ニューディールの資金を巧みに引き出し、連邦政府と都市をつなぐ橋を築いた。

昨日の急進は明日の常識

マムダニ氏に向けられる批判は、90年前とほとんど同じ構図だ。「理想が過ぎる」「ビジネスが逃げる」「治安が悪化する」──ラガーディア市長の時代にも聞こえた台詞である。だが同市長が証明したのは、社会主義的理念が都市を崩壊させるどころか、むしろ再生させる力を持つということだった。

次期NY市長のゾーラン・マムダニ氏
次期NY市長のゾーラン・マムダニ氏

マムダニ氏の政策は、家賃凍結、無償保育、無料バスの導入。どれも「財源がない」「現実的でない」と批判されるが、1930年代の公営住宅や公共プールも当時は「空想」と言われた。今ではそれがニューヨークの常識である。ラガーディア市長が作ったインフラの上で、彼を「社会主義者」と非難した人々の子孫が今日も暮らしている。

もちろん、現代のマムダニ氏が直面する制約は当時より厳しい。連邦政府は都市支援を縮小し、ニューヨーク州のキャシー・ホークル知事は増税に消極的だ。それでも、彼にはラガーディア市長のように「理念と行政を橋渡しする力」がある。すでにニューヨーク警視総監の続投要請やビジネス界との会談など、現実的な手を打ち始めた。運動家の言葉を行政の言語に翻訳し、異なる陣営をまとめる器量を示せるかどうかが、彼の成否を分ける。

ラガーディア市長が語った有名な言葉がある。
 

「私は最も広い意味での正義を求める。すなわち、すべての人に人生の美しさとより良いものを享受する機会を与えるような正義である(I want justice on the broadest scale ― justice that gives to everyone some chance for the beauty and the better things of life.)」
 

この言葉は、ラガーディア市長が単なる福祉や再分配を超えて、「文化・美・生活の質」までを政治の射程に入れた象徴的なフレーズとして、現在もしばしば引用されている。

有権者と直接対話する“ドブ板選挙”で勝利したマムダニ氏
有権者と直接対話する“ドブ板選挙”で勝利したマムダニ氏

この「最も広い意味での正義」という理念は、今日のマムダニ氏が掲げる「誰もが住める都市を」という訴えに重なる。
 

90年前、ニューヨークは「社会主義的市長」によって近代都市へと生まれ変わった。ならば今ふたたび、若い「社会主義市長」が次の時代を開くことを、なぜ不可能と決めつける必要があるだろう。
 

昨日の急進は、明日の常識になる。ラガーディア市長の成功がその証拠であり、マムダニ氏にもまた、その歴史を繰り返すチャンスがあるはずだ。
(執筆:ジャーナリスト 木村太郎)

木村太郎
木村太郎

理屈は後から考える。それは、やはり民主主義とは思惟の多様性だと思うからです。考え方はいっぱいあった方がいい。違う見方を提示する役割、それが僕がやってきたことで、まだまだ世の中には必要なことなんじゃないかとは思っています。
アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレー出身。慶応義塾大学法学部卒業。
NHK記者を経験した後、フリージャーナリストに転身。フジテレビ系ニュース番組「ニュースJAPAN」や「FNNスーパーニュース」のコメンテーターを経て、現在は、フジテレビ系「Mr.サンデー」のコメンテーターを務める。