10月21日に臨時国会が召集され、自民党の高市早苗 総裁が第104代内閣総理大臣に指名された。その高市新首相が成長戦略担当相に起用するのが衆議院・静岡7区選出の城内実 前経済安保担当相だ。過去の取材を基に経歴や人となりを紹介する。
東大卒の元官僚でドイツ語に堪能
成長戦略担当相に起用される城内実 氏は1965年生まれの60歳。
父・康光氏は元警察庁長官で、幼少期は東京・広島・ドイツ・神戸などで暮らした。
その後、開成高校・東京大学を経て外務省に入省。
官僚時代は在ドイツ日本国大使館に勤務し、1997年には天皇陛下や総理大臣などのドイツ語通訳官を務めた。
自民党本部に翻弄された初出馬
政界に進出したのは2002年。
前任の急死に伴い実施された自民党・静岡7区支部長の公募に手を挙げると、翌年の第43回衆議院議員選挙で初当選を果たす。
ただ、実はこの時は無所属での立候補だった。
というのも、城内氏が支部長に選ばれた直後に元自民党で通商産業大臣や内閣官房長官を歴任した同じ静岡7区を地盤とする熊谷弘 氏が民主党を離党した上で、旧知の仲だった保守党の二階俊博 幹事長(当時)と共に保守新党を旗揚げし与党入りしたからだ。
“連立の大義”を重んじた自民党本部は熊谷氏を推薦するに至り、城内氏はその煽りを受けた格好となった。
城内氏は比例単独での立候補の打診があったものの断り、自民党静岡県連も党本部の姿勢に猛反発。
結果としては熊谷氏に4万票近い差をつける圧勝劇で、城内氏は「まだ信じられない。これほど票差がつくとは思っていなかった。支持者が一生懸命動いてくれたので、そのおかげだと思っている」と述べた。
郵政民営化に反対 刺客立てられ落選
城内氏の名前が一躍知られるようになったのは2005年。
小泉純一郎 首相(当時)肝いりの郵政民営化法案の採決において、首相の出身派閥(清和会)の所属議員の中で唯一となる反対票を投じた。
これにより2005年8月のいわゆる“郵政解散”に伴う衆院選では、自民党が刺客として財務官僚の片山さつき氏(現・財務相)を静岡7区に擁立。
城内氏は「ある程度重い処分を受けることは想定していた。“よもや”という面もあるが、相手がどうあろうと私は支援者と一丸となってやるべきことを最後の日まで続ける」と前を向き、自民党県連も再び党本部の方針に背いて支援に回ったが、その差わずか748票で涙を呑んだ。
浪人期間に築いた“城内王国”
そこから国政の壇上に返り咲くまでに約4年。
ただ、後に城内氏はこの浪人期間について「毎日街頭に立ったり、後援会活動をしっかりやったりと、党の応援団ではなく個人の応援団を築くことができたという意味では今につながっている。つらく苦しかったが基礎を築けたという点でよかった」と振り返った。
その言葉通り、2期目の当選を果たした2009年の衆院選も含めて、有権者が32~33万人の選挙区にあって毎回11万5000票以上を獲得し、対立候補の数に関わらず得票率も50%を割り込んだことがない。
地元では比例区で野党に票を投じても、小選挙区では「城内実」の名前を書く人が多いと言われるほどだ。
信念を貫き「保守」を掲げる
支援者たちは城内氏のことを「信念の男」を評し、自身のホームページにも「いかなるときも国家国民のため信念を貫く政治家であり続ける」と記す。
自他共に認める「保守」の政治家で、郵政民営化法案の採決の際、城内氏に対して再三の説得を試みた安倍晋三 元首相とは昵懇の間柄だった。
このため、2012年に行われた自民党総裁選では安倍元首相の推薦人に名を連ね、2021年の総裁選では安倍元首相と共に高市早苗 氏(現・首相)の選対をゼロから作り上げたという。
古い流行歌を愛し音響機器にもこだわり
そんな城内氏だが「国会議員は“仮の姿”」と笑う。
趣味は戦前や戦中に流行した日本の歌のレコードを集めることで、収集歴は40年以上。
「この世界で私を知らない人はいない」と話し、真空管アンプなど音響機器にも強いこだわりを持っている。
ただ、収集が進む一方、「集めているだけで聞く時間がない」のが悩みだという。
将来、国会議員を引退した後は「懐メロ喫茶のマスターになる」ことを思い描き、旧車好きという一面も持つ。
石破政権に続いて、二度目の入閣となった城内氏。
20年近い議員生活、そして経済安保担当相時代に培った見識や人脈をどのように発揮していくのか期待されている。