イギリス・ロンドンで9月28日、中国が計画するヨーロッパ最大級の大使館の建設に反対する大規模なデモが行われた。計画されているのは、いわゆる“メガ”大使館。

巨大な敷地面積を占める施設が完成すれば、外交拠点であると同時に、スパイ活動や在外の民主化勢力への監視を強める拠点になるのではないか――そんな懸念が現地で広がっている。

デモでは、大使館計画に反対する横断幕のほか、習近平国家主席を風刺する「くまのプーさん」のイラストを掲げる参加者もいた。
また、中国当局への批判を叫び、中指を突き立てるように呼びかける場面もあった。中でも目についたのは黄色い傘を掲げる人たちの姿だ。

2014年に香港で始まった「雨傘運動」と同じく、自由と民主を象徴する黄色の傘を掲げながら「China Mega embassy go away!!(中国の巨大大使館は出て行け)」と訴えた。
主催者の一人、張嘉莉氏はこう訴える。

「私たちが本当に恐れているのは国境を越えた検閲や抑圧です。もしヨーロッパ最大の大使館が許可された場合、予測不可能な中国政権が何をするか誰にもわかりません。彼らはその範囲を拡大しようと考えており、不安は非常に大きいのです」
建設予定地はロンドン中心部、かつて王立造幣局があった跡地だ。敷地はサッカー場3つ分に当たる約2万平方メートルに及び、完成すればヨーロッパ最大級の大使館となる見通しである。

周辺にはタワーブリッジやロンドン塔といった観光名所が立ち並び、日本人観光客にも人気のエリアにあたる。

もし建設されれば何が起きるのか?3つの懸念が指摘されている。
亡命先ロンドンでさえ…尾行と手配書に怯える香港活動家
一つ目が民主化勢力への監視と抑圧だ。
中国政府による抑圧が国境を超えて及んでいると訴えるのが、香港出身の劉珈汶氏だ。
かつて香港で区議会議員を務めた彼女は、2020年に国家安全維持法が施行されると亡命を決意した。ロンドンに移り住んだ現在も、中国当局の影に怯える日々を送っている。
これは、懸賞金付きの手配書だ。

英国での住所や身長・体格といった個人情報までもが記載された文書が、ロンドン市内にある隣人の郵便受けに投げ込まれたという。
しかも、そこには「彼女を中国大使館に連れて行けば報酬が与えられる」と赤字で記されていた。さらにロンドン市内で二度尾行され、集会の会場から地下鉄駅まで執拗につけ回された経験もある。

劉氏が語る。
「何よりも重要なのは、中国の体制によって抑圧を受けている香港出身者として、国境を越えた今でも、その抑圧や脅迫、嫌がらせが止まることはないということです」
英国警察に相談したものの、十分な保護は得られず、助言は「VPNを使う」「目立たないようにする」といった一般的な内容にとどまった。それでも彼女は声を上げ続けている。
最も恐れているのは「沈黙を強いられること」
「私は活動家として、または香港から逃亡する決断をしたその日から、自分の行動に対する結果をある程度覚悟し、私たちを受け入れてくれる国やコミュニティーがどう反応するかも予想しています。だからこそ、個人の安全が脅かされる危険を感じながらも声を上げ続けているのです。しかし今私が最も恐れているのは、こうした事件によって他の香港の人々が恐怖におののき、沈黙を強いられてしまうことです。香港の外にいる人たちも含めて、誰もが話すことを怖れて、最終的に自分で言葉を封じてしまう状況になってしまうのです」
こうした声を上げること自体が、今後ますます困難になりかねない。命がけで声を発する彼女の姿は、自由を求める声がいかにもろく、そして容易に抑え込まれてしまう危うさを突きつけている。
窓の向こうに中国“メガ大使館”募る住民の不安
最も直接的な影響を受けるのは、敷地に隣接する住民たちだ。
建設予定地の近隣住民100世帯のとりまとめ役の一人、マーク・ナイゲート氏は、「プライバシー」と「セキュリティー」への不安を訴える。

計画では、大使館職員のために230戸のフラットが建設され、そのうち200戸は職員家族用、30戸は要人用になり、62台もの監視カメラが周辺を見下ろす計画だと説明を受けたという。集合住宅と建設予定地を隔てるのは、幅10mほどの駐車場のみ。

「大使館が完成したら、もはやカーテンすら開けられないかもしれない。誰かがチベットに関するテレビ番組でも見ていたら、それすらバレてしまう。そんなこと誰も望まない、絶対に」
また、不測の事態に備え、大使館建物には防弾ガラス仕様の窓が設置される計画だという。
当然、有事となれば、周辺にも危険が及びかねないため、住宅側にも防護措置をしてほしいと訴えたものの拒否され、安全対策を求めても改善は見込めなかった。
それでも当初、住民たちは関係を良好に保とうと努めていた。
歴史的建造物である造幣局跡地にちなんで記念コインを贈る提案もしたが、その直後に突然カメラを向けられたという。
住民側は監視されているように感じ、やがて対話は途絶えていった。

この場所に27年間住んでいるナイゲート氏は語る。
「(王立造幣局が)売却されることは絶対にないと思っていた。まさか争わざるを得ない事態になるとは夢にも思わなかった」
「中国でなくても、ほかの大使館計画でも反対しただろう。ただ、中国は地政学的なリスクが大きい。だから不安もさらに増している」
単なる“隣人トラブル”では済まされない現実を浮かび上がらせた。
金融街の機密も筒抜けに?スパイ活動の拠点リスクも
三つ目は安全保障上のリスクだ。
米シンクタンクのCSISは、最も憂慮すべき点として、建設予定地がロンドンのインターネットネットワークを支える重要な通信ラインや光ファイバーケーブルに近接していることを挙げる。もし建設されれば、イギリスの国家安全保障を著しく損なうだけでなく、アメリカやファイブ・アイズ同盟との情報共有にも影響を与える可能性があると指摘している。

イギリス金融街を結ぶ通信ケーブルや電話交換所、データセンターに近い位置にあるため、傍受や盗聴の拠点となり得るリスクが懸念されている。
外交施設には治外法権が及ぶため、イギリス当局のチェックは及びにくく、スパイ活動や越境的な情報収集の拠点となる危険性も高いと指摘されている。
黒塗りだった?問われる計画性…中国大使館「批判は全くの虚偽」
こうした懸念が大きく広がった理由の一つが“計画書の黒塗り疑惑”だ。
デモ主催者の一人、張氏によれば、中国がイギリス政府に提出した計画書の一部は黒塗りされ、当局が説明を求めても中国側は応じなかったという。
張氏は「歴史的建造物を利用する計画であり、完全な透明性が求められる」と指摘した。

こうした批判に対し、中国大使館は反論している。
「中国が情報提供を拒否し、図面を『編集』したという主張は全くの虚偽である。提出した開発計画は質の高いもので、地元の専門団体からも高く評価されている。申請は現地の規制と手続きに準拠しており、イギリス政府に対して早期承認を改めて強く求める」とする声明を出した。
香港「雨傘運動」から11年 自由を守るのは誰の責任か
2014年9月28日、香港では民主的な選挙を求める市民に対し、警察が催涙ガスを使用した。学生や市民が雨傘を差して身を守った姿から「雨傘運動」と名付けられた抗議は、香港の民主化運動の象徴となり、世界の注目を集めた。
それからちょうど11年。香港を離れた人々もなお、各地で自由と安全を求める声を上げ続けている。今回のロンドンでのデモは、その象徴的な延長線上にある。

命がけで声を上げる劉氏は、静かにこう語った。
「独裁や権威主義体制のもとで苦しむ多くの人々が存在し、民主主義が世界のどこにおいても保証されているわけではないことを理解してほしいのです」
ロンドンで聞いたその言葉は、遠い国の話のように思えていた私に、自由を守る責任は決して他人事ではないと突きつけてきた。その響きは日本に暮らす人々の胸にも届くはずだ。
観光地の真ん中にそびえる巨大な外交拠点。
ロンドン市民、香港出身の亡命者、専門家、そして中国大使館の主張が交錯する中、イギリス政府は国家安全保障と経済的利害のはざまで、近く最終判断を迫られている。
(執筆:FNNロンドン支局長 髙島泰明)