天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは、9月12日から被爆地・長崎を訪問し、戦没者を慰霊された。両陛下は戦後80年にあたる今年、小笠原諸島の硫黄島や沖縄、広島にも訪れ、戦没者の霊を慰められた。

今から30年前には、当時の天皇皇后両陛下、今の上皇ご夫妻が戦後50年にあたり、長崎・広島・沖縄・東京都慰霊堂を巡る「慰霊の旅」を行われている。

今回はその様子をまとめた平成7(1995)年8月19日放送「皇室ご一家」(第835回 両陛下「慰霊の旅」~長崎・広島・沖縄・東京~)を振り返る。

なお、本記事は当時のナレーションをそのまま記載。上皇さまを「天皇陛下」、上皇后さまを「皇后さま」と記載する。

天皇皇后両陛下 戦没者追悼式典へ

終戦記念日の8月15日、天皇皇后両陛下は、東京・北の丸公園の日本武道館で行われた「全国戦没者追悼式」にご出席になりました。

平成7(1995)年8月15日 全国戦没者追悼式(東京・日本武道館)
平成7(1995)年8月15日 全国戦没者追悼式(東京・日本武道館)
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式典には、村山総理大臣をはじめ各界の代表、そして全国から集まった遺族らおよそ8000人が参列しました。

参列された天皇皇后両陛下
参列された天皇皇后両陛下

両陛下は、参列者と共に、先の大戦で亡くなった310万人の人々の冥福を祈り、平和への誓いを新たにされました。

正午の時報に合わせ 黙とうされる両陛下
正午の時報に合わせ 黙とうされる両陛下

《天皇陛下 おことば》
さきの大戦において、尊い命を失った数多くの人々やその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。終戦以来すでに50年、国民のたゆみない努力によって、今日の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時を思い、感慨は誠に尽きるところを知りません。ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民とともに、戦陣に散り、戦禍にたおれた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の発展を祈ります。

おことばを述べられる天皇陛下
おことばを述べられる天皇陛下

この後、遺族の代表らがそれぞれの思いを込めて、戦没者の霊に花を捧げました。

戦後50年の「慰霊の旅」 長崎県ご訪問

ところで天皇皇后両陛下は、この夏、戦後50年にあたっての「慰霊の旅」をされましたが、7月26日、最初の訪問地、長崎県をお訪ねになりました。

平成7年(1995)年7月26日 長崎を訪問された両陛下
平成7年(1995)年7月26日 長崎を訪問された両陛下

両陛下の長崎ご訪問は、平成3年7月の雲仙・普賢岳噴火による被災地お見舞い以来のことです。

両陛下はまず、長崎市内の平和公園をご訪問。

長崎の平和祈念像
長崎の平和祈念像

平和祈念像の前に進まれ、原爆で亡くなった、およそ10万2000人の人達の死没者名簿が納められている慰霊碑に白い花束を献げられました。

慰霊碑に供花される両陛下
慰霊碑に供花される両陛下

続いて両陛下は、原爆資料センターをお訪ねになり、被爆直後の長崎市内の様子を撮(うつ)したパネルなどをご覧になりました。

原爆資料センターで被爆者の遺品などをご覧になる両陛下
原爆資料センターで被爆者の遺品などをご覧になる両陛下

館内をゆっくりと巡られた両陛下は、被爆者の遺品を前に、改めて、原子爆弾のおそろしさを痛感されたご様子でした。

広島ご訪問 原爆死没者慰霊碑へ

翌27日、両陛下は次の訪問地、広島県へ。

原爆ドーム(広島平和記念公園)
原爆ドーム(広島平和記念公園)

原爆死没者慰霊碑に白い菊の花を供えられ、犠牲者およそ18万7000人の冥福を祈られました。

両陛下は、今年5月の植樹祭の折りにも参拝されています。

平成7年(1995)年7月27日 原爆死没者慰霊碑に供花される両陛下
平成7年(1995)年7月27日 原爆死没者慰霊碑に供花される両陛下

この後両陛下は、被爆者の人達およそ300人が入居している原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」をご訪問になりました。

原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」
原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」

「陛下、戦争はいけません。平和が絶対です」と話すお年寄りに、腰をかがめながら熱心にお聞きになっていた陛下は、「そうだね、平和がね」と何度も何度もうなずかれていました。

入所者と懇談する両陛下
入所者と懇談する両陛下

さらに皇后さまは、「いかがですか」「お元気ですか」などとやさしく言葉をかけ、励ましていらっしゃいました。

戦後50年の「慰霊の旅」 沖縄ご訪問

真夏の太陽が照りつける8月2日、天皇・皇后両陛下は、さらに「慰霊の旅」の訪問地、沖縄県をお訪ねになりました。

平成7年(1995)年8月2日 沖縄を訪問された両陛下
平成7年(1995)年8月2日 沖縄を訪問された両陛下

沖縄最大の激戦地となった糸満市・摩文仁(まぶに)の丘に立つ平和祈念堂。

平和祈念堂(沖縄・糸満市)
平和祈念堂(沖縄・糸満市)

平和祈念像に拝礼された両陛下。この後、遺族の人達一人一人に、「50年前は大変でしたね」などとねぎらいの言葉をかけていらっしゃいました。

戦没者遺族と懇談される両陛下
戦没者遺族と懇談される両陛下

引き続き、隣接する「平和の礎(いしじ)」へ。

この「礎」には、沖縄戦で亡くなった県内外をはじめアメリカなど外国の人々も含め、およそ23万人の名前が刻まれています。

平和の礎に刻まれた戦没者の名前をご覧になる両陛下
平和の礎に刻まれた戦没者の名前をご覧になる両陛下

両陛下は、一家5人全員の名前が刻まれた碑の前で「大変な状況だったんでしょう」と感慨深げなご様子でした。

最後に巡られたのは東京都慰霊堂

天皇・皇后両陛下の「慰霊の旅」の締めくくりは、東京・墨田区にある東京都慰霊堂へのご参拝。

東京都慰霊堂(東京・墨田区)
東京都慰霊堂(東京・墨田区)

この慰霊堂は、関東大震災による犠牲者の遺骨を納めるために建てられたものですが、東京大空襲などによる戦争犠牲者の遺骨も合わせて安置されており、現在およそ16万人の霊が祀られています。

関東大震災の犠牲者と東京大空襲などの戦没者の遺骨が納められている
関東大震災の犠牲者と東京大空襲などの戦没者の遺骨が納められている

遺族300人が参列するなか両陛下は、霊前に花束をささげられ、多くの戦争犠牲者の冥福を祈られました。

平成7年(1995)年8月3日 東京都慰霊堂を参拝された両陛下
平成7年(1995)年8月3日 東京都慰霊堂を参拝された両陛下

「慰霊の旅」を終えられた両陛下は、「今日の平和と繁栄が多くの人々の犠牲の上に築かれていることを深く心に刻み、これからもこの戦いに連なる全ての死者の冥福を祈り、遺族の悲しみを忘れることなく、世界の平和を願い続けていきたいと思います」とその思いを述べられました。
(「皇室ご一家」第835回 平成7年8月19日放送)

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