7月6日からモンゴルを公式訪問されている天皇皇后両陛下。8日には、終戦から80年の節目を前に、旧ソビエトによってモンゴルに送られ、過酷な労働などのため命を落とした日本人抑留者の慰霊碑を訪れ、供花された両陛下。10年前の戦後70年の節目には、上皇ご夫妻が、太平洋戦争の激戦地・パラオを訪れ、戦没者を慰霊されました。そのときの様子を取材した平成27(2015)年4月19日放送「皇室ご一家」(第1805回 両陛下パラオ慰霊の旅)を振り返る。
なお、本記事は当時のナレーションをそのまま記載。上皇ご夫妻はそれぞれ「天皇陛下」、「皇后さま」と記載する。
天皇・皇后両陛下 パラオご到着
日本から南へおよそ3000キロ、200を超える島々からなるパラオ共和国。

天皇・皇后両陛下は戦後70年の節目に戦没者を慰霊するため4月8日から2日間、パラオを訪問されました。到着した空港では、パラオのレメンゲサウ大統領夫妻が出迎え、両陛下はにこやかに握手を交わされました。

また、地元の子どもたちからは皇后さまにランの花束が手渡されました。

今回の訪問は、パラオやミクロネシア地域での戦没者を慰霊されたいという両陛下の強い思いから実現したものです。

パラオは終戦までのおよそ30年間、日本が委任統治していた国で多くの日本人が移住し生活していました。しかし、先の戦争ではアメリカ軍と激しい戦闘が行われ、日本人およそ1万6千人が戦死した場所でもあります。
パラオ政府主催の晩さん会にご出席
日本が統治した頃の面影が残る国内最大の都市コロール。

4月8日の夜、両陛下はコロール島内で開かれたパラオ政府主催の晩さん会に出席されました。

晩さん会にはパラオと同様に戦場となったミクロネシアとマーシャル諸島の大統領夫妻も招かれました。

〈天皇陛下 おことば〉
先の戦争においては、貴国を含むこの地域において日米の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、多くの人命が失われました。日本軍は貴国民に、安全な場所への疎開を勧める等、貴国民の安全に配慮したと言われておりますが、空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした。ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います。(中略)今日、日本とこの地域との間では漁業や観光の分野を中心として関係が深まってきていることは誠に喜ばしいことです。今後それぞれの国との間で一層交流が盛んになることを願ってやみません。
太平洋戦争の激戦地・ペリリュー島を慰霊
今回、初めて海上保安庁の巡視船に宿泊された両陛下。

翌9日にはコロール島の沖合に停泊した船からヘリコプターを使い、およそ50キロ離れたペリリュー島へと向かわれました。

両陛下が長年望まれてきたパラオでの慰霊…

ここペリリュー島は、昭和19年9月から始まったアメリカ軍の上陸作戦により、激しい戦いが繰り広げられた場所です。

2カ月にも及ぶ戦闘の結果、1万人を超える日本兵とアメリカ兵およそ1700人が命を落としました。島内にはその痕跡が今も数多く残されています。
「西太平洋戦没者の碑」と「米国陸軍第81歩兵師団慰霊碑」を慰霊
島の南端にある平和記念公園内に昭和60年、日本政府により建てられた西太平洋戦没者の碑。これは国籍を問わず西太平洋地域の戦没者を対象にしている慰霊碑で、正面は日本に向けられています。

ペリリュー島に到着された両陛下は、まずこの慰霊碑をお訪ねになりました。両陛下は日本から持参した白菊の花を手にゆっくりと前に進み一礼されました。

そして元日本兵や遺族などが見守る中、慰霊碑に花を手向け、戦没者に鎮魂の祈りを捧げられました。

さらに両陛下は、およそ1200人の日本兵が亡くなったアンガウル島の方角に向かい頭を下げられました

この後、遺族などにやさしく声を掛けられた両陛下。その中にはペリリュー島の戦いから生還した土田喜代一さんの姿もありました。
土田さんは組織的な戦闘の終結を知らずに仲間と洞窟に身をひそめ徹底抗戦を続けました。投降に応じたのは終戦から2年後、奇跡的に生還したのは34人だけでした。

《両陛下と元日本兵・土田さんとのやりとり》
陛下「お元気でほんとにね」
皇后さま「今日お帰りになるの? 気をつけてお帰りになってくださいね」
陛下「どうぞお大事にね」
《元日本兵・土田喜代一さん インタビュー》
陛下も非常にペリリュー島に関心を持たれているんなだという気持ちが一番うれしかったですね。(亡くなった戦友)1万名の人が非常に喜んでいると思います。戦争というのは勝っても負けてもだめですね。勝っても負けてもだめというのが戦争じゃないでしょうか。

この日、遺影を手に両陛下と話す遺族もいました。青森から来た田中恭子さんです。

父・将一さんは、田中さんが1歳の時に出征、3年後この島で命を落としました。青森の自宅には、将一さんの軍服や母に宛てた手紙が形見として残されています。

〈田中さんインタビュー〉
「大変でしたね」とおっしゃったので恐れ多うございますと申し上げました。
父には…よかったですねと申し上げたいです。

公園を離れる際、両陛下は車内で立ったまま、見送る人たちに手を振り続けていらっしゃいました。

アメリカ軍上陸の際、日米両軍の兵士の血で染まったといわれるオレンジビーチ。

この海岸のそばには、アメリカ人の犠牲者のために建てられた慰霊碑があります。

西太平洋戦没者の碑慰霊に続いてこの場所を訪ねられた両陛下、白い花輪を供え黙礼されました。

戦争で犠牲になった全ての人々を追悼したいというお気持ちの表れでした。
ペリリュー州の地元住民ともご交流
ご日程最後に地元の人たちと交流された両陛下、「戦争のときは大変だったでしょう」「お元気でいらして下さい」などと話しかけられました。

《日本統治下時代を知る地元の住民》
(両陛下を)初めて見た。今までテレビで見てるだけで見たことない。
初めてですからね、天皇陛下がペリリュー島に来てくれて本当によかったです。

移動の途中には「こんにちは」と書かれた横断幕と共に日本とパラオの国旗を振る子どもたちの姿がありました。

両陛下が訪問されたペリリュー州では、今後4月9日を休日にすることが決まったそうです。
(「皇室ご一家」第1805回 平成27年4月19日放送)