戦争を知る人がまた一人、旅立ちました。
1945年の鹿児島大空襲で家族7人を失い、自らの戦争体験を様々な場で語り継いできた春成幸男さんが、9月6日亡くなりました。
100歳でした。
KTSでは2025年7月、終戦の日を前に春成さんを取材していました。
2025年7月。
私たちは東京都世田谷区を訪ねました。
「こんにちは」
「はい、お願いします」
春成幸男さん、100歳。
学生だった太平洋戦争当時、自ら軍に志願しました。
家族に別れを告げるため当時暮らしていた東京から鹿児島に帰り、一緒に食卓を囲んだ数時間後。
鹿児島大空襲で家族7人を失いました。
インタビューで語っていたのは、80年たっても変わらない後悔でした。
春成幸男さん(100)
「私が東京から帰っていなければ家族は疎開していた。その思いをずっと引きずって100歳になった。終戦から80年、80年間その思いを引きずってきた。これは辛い一生ですよ。『長いようで短い』と言うが本当に辛い一生を送った80年間だったな、と」
戦後、春成さんは教職員として働いた後、鹿児島の文化、経済の発展や若手の育成を目指す三洲倶楽部の会長や関東鹿児島県人会の幹事長を務めました。
「(関東の人が)もう少し南へ南へと視点を変えて、(鹿児島が)発展してもらいたい」
そして戦争について語り継ぐ活動も。
鹿児島市堀江町で鹿児島大空襲の犠牲者をいたむ慰霊碑の建立に尽力したほか、鹿児島大学では学生を前に自身の戦争体験を語るなど若者たちに向けて平和の尊さを訴えてきました。
そして、2025年7月。
終戦の日に放送した特別番組の取材が最後のインタビューとなりました。
「戦争を知らない私たちに春成さんが託したいことは?」
春成幸男さん(100)
「託したい第一は命を大事にすること。この一点をしっかり考えてもらいたい。人間は知恵があるんだから、知恵を絞って平和を願い、戦争を無くすことが大事」
インタビュー時も、春成さんは力を振り絞って語ってくれました。
その春成さんが旅立ち、今、本当にバトンを託された気持ちでいます。
春成さんの葬儀、告別式は12日に東京で行われるということです。