9月3日、北京で「抗日戦争勝利80周年」を祝う大規模な軍事パレードが行われ、ロシアのプーチン大統領や北朝鮮の金正恩総書記ら20カ国以上の首脳らが参加し、世界の注目を浴びた。天安門広場は5万人の群衆に埋め尽くされ、無数の鳩と気球が空を舞った。しかし、10年前まで、「抗日戦争勝利」の「祝賀行事」は行われなかったのである。なぜか。

以下の文章は、東京大学のある中国人訪問学者が執筆し、東京大学大学院の阿古智子教授が翻訳したものを編集した記事である。

三大独裁国の指導者が北京に集結

2025年9月3日、中国共産党は史上最大規模の軍事パレードを開催し、抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利80周年を記念するとして、「比類なき友」であるロシアのプーチン大統領と北朝鮮の金正恩総書記を招待した。

プーチン大統領と金正恩総書記と並んで歩く習近平国家主席
プーチン大統領と金正恩総書記と並んで歩く習近平国家主席
この記事の画像(21枚)

当時の「反ファシズム戦争」の戦勝国はほとんど出席しなかった。そして、この「反侵略」の祝賀行事に、「侵略戦争真っ最中」のロシアの大統領が招待された。

日本からは鳩山由紀夫元首相が出席し、プーチン大統領、金正恩総書記、習近平国家主席と並んで立っていた。それは滑稽な光景であったが、習近平は喜んでいた。

鳩山由紀夫元首相を出迎える習近平国家主席
鳩山由紀夫元首相を出迎える習近平国家主席

鳩山元首相は日本国内では日本国民を代表できないが、北京ではあたかも日本国民を代表しているかのようだった。彼は「政治アクター」の役割を演じることを楽しんでいるようだった。

先述の通り、この軍事パレードは「抗日戦争勝利80周年を祝う」ために開催された。中国人民にとって、抗日戦争の勝利はまさに祝うべきものだ。

日本の軍国主義政権による中国への本格的な侵略は、8年間(1931年の柳条湖事件で日本が中国東北部を侵略した時点から数えると14年間)続いた。中国における人的被害は甚大で、1400万~2,000万人が死亡し、約8,000万人が難民になったと推計されている(Rana Mitter著「Forgotten Ally」より)。

中国に侵攻した日本軍
中国に侵攻した日本軍

難民の数は当時の中国人口の2割近くに相当し、中国社会の人口構成を根本的に変えるほどの、20世紀における最悪の人道的危機の一つとなった。
(中国共産党が政権を握った後、毛沢東政権下の数々の政治運動による死者数はさらに多く、1959年から1962年にかけての大飢饉だけでも3,000万から4,000万人が亡くなったとの説がある)

70周年まで「抗日戦争勝利」は祝賀されなかった

しかし、習近平国家主席と中国共産党は、このような祝賀行事や軍事パレードにおいて「中国人民」を代表する資格があるのだろうか。今や彼らは中国の正統な政府であり、当然そうだと読者は思うかもしれない。

だが、ここで疑問が生じる。中国共産党政権は1949年以来、中国の「正統な政府」であり続けているにもかかわらず、なぜ、これほどの「偉大な勝利」を収めた後、2015年までの70年間、「抗日戦争勝利」を祝う軍事パレードは一度も開催されなかったのか。

なぜ2015年に盛大な祝賀行事が始まったのか。

その理由は、実はほとんどの中国人が理解していない。中国でこのようなパレードを開催する必要があるのか、開催するなら何を目的とするのか、費用や招待者はどうするかといったことについて、一般の人々は発言する権利をまったく与えられていないのだ。

第二次世界大戦終結80周年にあたる2025年、世界の三大独裁国家の指導者が北京に集結し、この盛大な「祝賀行事」を行うという時に、関連する歴史を理解することは極めて重要だ。北京に集結したこれら指導者が運営する三大政権こそが、今日の世界平和に対する最大の脅威だからだ。

プーチン大統領・習近平国家主席・金正恩総書記
プーチン大統領・習近平国家主席・金正恩総書記

表向きは「平和祝賀行事」と称するこの盛大な式典は、経済が停滞し、失業率が上昇し、貧困が蔓延する中国で行われた。これは、中国共産党が内外の課題に立ち向かうための政治的ショーなのだ。この背後にある中国共産党の政治的策略を、より多くの人々が理解する必要がある。

歴史を振り返り、中国共産党はなぜ最初の70年間、この「祝賀行事」を行わなかったのかを考えてみよう。

1. 東京湾の20分間

1945年9月2日、東京湾の中央に停泊していたアメリカの戦艦ミズーリ号で、日本の無条件降伏文書の調印式が行われた。午前9時、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が壇上に上がり、「我々は報復のためではなく、公正かつ恒久的な平和を確立するために来た」と宣言した。続いて、日本側から天皇および大日本帝国政府を代表し重光葵外務大臣が、大本営を代表し梅津美治郎参謀総長が署名した。この瞬間、日本の無条件降伏が実現し、一つの時代が終わった。

戦艦ミズーリ号で行われた日本の無条件降伏調印式(1945年)
戦艦ミズーリ号で行われた日本の無条件降伏調印式(1945年)

次に壇上に上がったのは、中華民国代表の徐永昌国民政府軍令部部長(のち上将)。山西省生まれの徐永昌は幼少期に陸軍士官学校で学び、後にドイツでさらに研鑽を積んだ。抗日戦争中、徐永昌は長年にわたり部隊の構築と軍務を担当し、中国軍の戦力維持に重要な役割を果たした。彼は降伏文書に「中華民国」の4文字を記し、中国は戦勝国となった。

徐永昌に続き、アメリカのチェスター・ニミッツ海軍元帥、イギリスのブルース・フレーザー海軍大将(のち元帥)、ソ連のクズマ・デレビヤンコ ソ連軍中将、そしてオーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランドの代表が署名した。9つの国、9つの名前が、共通の意志を歴史に刻んだ。

2. 中国共産党不在の抗日戦争

アジア太平洋の戦場で、日本軍を撃破するのに決定的な役割を果たしたのはアメリカ合衆国であり、最大の犠牲を払ったのは中国であった。この中国とは、1949年に樹立された中国共産党政権ではなく、中華民国であった。力の差に直面した国民党政府は、年齢や地域を問わず、中国人民を率いて抗日戦争に臨んだ。彼らは8年間、数千万人の死傷者を出しながらも、ついに平和が訪れるまで粘り強く戦い抜いた。

国民党政府のあった南京に入城した日本軍
国民党政府のあった南京に入城した日本軍

当時、中国共産党は陝西省の辺境の窰洞(崖や地面に掘った穴を利用して作られた住居)に潜む反政府武装組織であり、「一分抗日,二分応付,七分発展」(721方針:10%の力を抗日、20%の力を形式的な対応、70%の力を自分たちの勢力拡大に投入する)を打ち出していた。

これは、国民党による日本軍の侵略に対する最前線での抵抗を、自らの勢力拡大に活かすことを意味する。 1937年7月7日の盧溝橋事件から1945年8月15日の日本の降伏まで、中国と日本はそれぞれ10万人以上の兵力で少なくとも10回以上の大規模な戦闘を繰り広げた。これらの決戦の多くは、中国共産党の八路軍や新四軍はあまり関係がなかった。

8年間に及ぶ抗日戦争全体を通して、中国共産党による「作戦」と呼べる唯一の攻勢は、1940年の百団大戦ぐらいであろう。戦後、頭角を現した軍指導者の彭徳懐は、党中央の「721方針」に違反したとして、毛沢東から厳しく批判された。

毛沢東は彭徳懐の日本への抵抗を「反革命行為」と認定
毛沢東は彭徳懐の日本への抵抗を「反革命行為」と認定

その後、1966年に毛沢東が開始した文化大革命において、百団大戦は彭徳懐に対する不利な証拠として再び取り上げられた。毛沢東は彭徳懐を「個人の名誉のために戦争を開始した」「革命根拠地に深刻な損害を与えた」「日本人に刃物を与えた」などと非難した。

文化大革命の間、彭徳懐は激しい批判を受け続け、長期間投獄された。癌を患っていたが、治療を受けることができず、1974年に亡くなった。

3. 日本によって「成すことができた」中国共産党政権

彭徳懐の運命は、中国共産党に「日本に抵抗する」強い意思がなかったことを物語っている。それにもかかわらず、中国共産党は抗日戦争の最大の受益者になった。

1945年8月、中国東北部に駐留していた約70万人の日本の関東軍が降伏した。ソ連軍は速やかに中国東北部を占領し、戦車、航空機、大砲、軽機関銃・重機関銃、火器、車両、弾薬、食料など、数百万人の兵士を支えるのに十分な膨大な軍事物資を押収した。

アメリカが朝鮮半島に上陸すると、スターリンはソ連の利益のために蒋介石の勢力を封じ込めようと、これらの兵器の一部を少しずつ中国共産党に譲渡していった。これらの軍事物資によって、中国共産党の東北民主連軍は一時期、中国共産党内で最も装備の充実した部隊となった。

小規模な反政府武装組織であった中国共産党は、国民政府と対峙し、最終的に1945年から1949年の国共内戦で勝利を収める勢力へと成長した。

中国建国式での毛沢東(1949年10月1日)
中国建国式での毛沢東(1949年10月1日)

つまり、中国共産党は日本に深く「感謝」しているのである。

まず、日中戦争を通じて国民党政府とその軍隊を弱体化させ、その見返りとして、関東軍から百万人の軍隊を武装させるのに十分な装備を受け取ることができたのだから。

ロス・テリル(Ross Terrill)の著書『毛沢東伝』は、1950年代に毛沢東が日本人に語った言葉を引用している。「日本軍の侵略がなければ、中国共産党はこれほど早く権力を掌握することはなかったかもしれない」

4. 祝われなかった「勝利」

このように、中華人民共和国建国後40年以上にわたり、「抗日戦争の勝利」を祝うことは、気まずいものだった。毛沢東時代と鄧小平時代を生きてきた多くの人々は、「抗日戦争の勝利」がアメリカ合衆国とその「敵」である国民党政府の支援によって達成されたことを目の当たりにしており、その内実を知っていた。

それは共産党の勝利ではなく、共産党は戦時中の国民党政府の弱体化に乗じて権力を掌握したのだ。共産党こそが、戦争の最大の「受益者」だった。

そのため、過去数十年にわたり、中国共産党の公式祝賀行事は、内戦の勝利を記念するものだった。「2万5000里(1万2500km)の長征」(実際には政府軍の追撃からの逃走)から(国民党軍との)「三大戦役(※注)」に至るまで、あらゆる出来事がそうだった。

中国建国75周年の国慶節(2024年)
中国建国75周年の国慶節(2024年)

北京では年間最大の祝賀行事である10月1日の国慶節を、権力掌握を祝う日としている。しかし、抗日戦争勝利記念日である9月3日については、記念日制定まで公式にはほとんど言及されていない。

抗日戦争勝利を大々的に祝えば、「真実が暴露される」恐れがあるからだ。少しでも常識のある人なら、疑問に思うはずだ。抗日戦争中、中国の正統な政府はどの政党の政府だったのかと。

それは中国共産党ではない。侵略してきた日本軍の主力部隊に最前線で抵抗したのは、中国共産党の軍隊ではない。

【※注】
三大戦役:中華民国国軍と中国共産党の中国人民解放軍の間で発生した次の三つの戦闘。
遼瀋戦役(1948年9月12日 – 11月2日)
平津戦役(1948年11月29日 – 1949年1月31日)
淮海戦役(1948年11月6日– 1949年1月10日)

5. 「抗日戦争勝利」の再考

1991年、中国の国務院は9月3日を「中国人民抗日戦争勝利記念日」と定めた。これは、中国共産党が軍隊と戦車を用いて学生を虐殺した1989年の天安門事件を背景にした行為だったと言える。

天安門事件 戦車の前に立ちはだかった男性(1989年6月)
天安門事件 戦車の前に立ちはだかった男性(1989年6月)

この事件により、中国共産党は国内で自らの正統性を証明することが困難になった。そこで、中国共産党は常套手段であるナショナリズムに訴え、新たな敵を作り出した。最も都合の良い敵は日本だった。

その結果、日本関連のプロパガンダのトーンは、1980年代の日中友好から、反日ナショナリズムの愛国カードへと変化した。プロパガンダ機関は再び、抗日戦争と尖閣諸島の問題を大々的に煽り始めた。

尖閣諸島
尖閣諸島

実際、中国共産党は建国以来、歴史的事実や論理とは無関係に、現政権の利益と政治的ニーズに基づいて動いてきた。これが、多くの西側の政治家や学者にとって、中国共産党を理解する上での難しさとなっている。

2014年、全国人民代表大会常務委員会は9月3日を「中国人民抗日戦争勝利記念日」と正式に定めた。当時、習近平の「中国の夢」においては、反日感情や「愛国心」といった民族主義的な感情を巧みに利用することが、常套手段となっていた。

この新たな政治的要請に突き動かされ、習近平は2015年に初の大軍事パレードを開催し、さらに10年後の今年には、より大規模で精巧なパレードを開催し、二人の著名な独裁者を招待した。

金正恩総書記に説明する習近平国家主席
金正恩総書記に説明する習近平国家主席

アメリカの弁護士で学者の劉宗坤は、このパレードを「綿密に仕組まれた政治的な栄光」と表現し、中国共産党政権が「自らの勝利ではないものを、自らの権力を称えるための政治的儀式へと段階的に変貌させようとする」恥知らずな行為だと断じた。劉宗坤は、偉大な中国の翻訳家である厳復が130年前に書いた「偽りに始まり、恥知らずに終わった」という言葉を引用している。

6. 80周年、私たちは何を祝うべきか

反ファシズム戦争終結80周年は、確かに祝うに値する。しかし問題は、私たちは何を祝うべきか、ということだ。

中国は1945年には「戦勝国」だった。では、2025年の中国共産党もまた「戦勝国」を体現することになるのだろうか。中国は「正義の側」を代表して「祝う」ことができるのだろうか。

日中戦争
日中戦争

日本は1945年に敗戦国だった。では、すべての日本人が常に罪人であるということなのか。鳩山由紀夫氏が日本人だからといって、北京で日本を代表して「謝罪」できるというのか。

あまりにも多くの概念が置き換えられているが、中国共産党はその達人であり、自らの政治的アジェンダに沿うように言葉を操作し、イメージを作り上げている。彼らに必要なのは事実ではなく、イメージだけなのだ。

巧妙に作り上げられたイメージ

こうした巧妙に作り上げられたイメージを紐解いてみよう。

中国は1945年には「戦勝国」であったものの、1991年以来、中国共産党が国民感情を操作する方法は、1930年代の日本の極右軍国主義やドイツのナチズムの核心と一致している。ナチズムとは「国民社会主義」という意味だが、これは中国共産党が標榜する「社会主義」と似ている。

数十年にわたる全体主義的統治を通じて、中国共産党は人類史上最大の人権侵害を引き起こしている。2025年、中国では年金も医療も行き届かず、略奪的な経済的・政治的迫害によって多くの企業が閉鎖に追い込まれる中、習近平は盛大な軍事パレードに惜しみなく資金を費やしている。

そして、彼と他の二人の独裁者が天安門広場の頂上に立つ時、彼らは新時代の「枢軸国」の様相を呈する。「平和」を装った彼らの軍事パレードこそが、世界平和に対する真の脅威なのだ。

世界平和への脅威にどう対処すべきか

一般の人々は何ができるだろうか?

まず、戦争は常に政権に利益をもたらし、一般の人々に損害を与えるということを理解しなければならない。一般の人々は、政権によって洗脳され、戦争機構の一部となるか、銃火によって家族を滅ぼされるかのどちらかだ。これは、戦争を始めたのが日本であろうとドイツであろうと、今日のロシアであろうと、同じことだ。

第二に、一般の人々は特定の民族や国籍ではなく、「他者は敵」という考えの偏狭なナショナリズムを警戒し、拒絶すべきである。このメンタリティは、習近平の「中国の夢」やプーチンの「帝国の夢」だけでなく、アメリカの「アメリカを再び偉大に」や日本の「日本人ファースト」にも見られる。自国の発展を優先すること自体は確かに悪いことではないが、「他者」を「敵」とみなす前提に立つならば、最終的には戦争と惨事につながることは歴史が証明している。

「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ大統領
「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ大統領

もし私たちに敵がいるとすれば、それはこうした考えを生み出し、暴力とプロパガンダの手段を行使する政権だ。私たちの最大の武器は、歴史的真実を理解し、独立した思考を持ち、そして声を上げ続けることであろう。

日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が2024年のノーベル賞を受賞したことには、計り知れない意義がある。田中煕巳さんをはじめとする被爆者の方々が、90歳を超えてなお、精力的にロビー活動を続ける姿に、私は感銘を受けた。

日本原水爆被害者団体協議会が2024年のノーベル平和賞を受賞
日本原水爆被害者団体協議会が2024年のノーベル平和賞を受賞

被団協の人たちは、日本政府に対し、被爆者への支援と補償の拡充を訴え、核兵器の世界的な禁止を推進し、被爆者の証言を集め、国際社会に原爆投下の悲劇を忘れないよう訴えている。そして、自らの深い痛みを心に刻み、人種、国籍、信仰、文化の違いに関わらず、自分たちが味わった苦しみを、他の誰にも味わわせないようにと願っている。心から素晴らしい活動だと思う。

しかし、被団協のメンバーの大半は高齢である。「第二次世界大戦の被爆者がまだ生きていれば、二度と戦争は起こらなかっただろう」という声もあるが、本当にそうならば、我々に残された時間はそう多くない。

彼らはすでに多くのことを成し遂げてきた。私たち一人ひとりが、歴史を理解し、嘘を暴き、自ら考え、他者に共感し、そして合意形成していくという、このバトンを受け継ぐ必要がある。より多くの一般の人々が、この困難な仕事を継続する意志を持つ限りにおいて、私たちは再び戦争の深淵に陥ることを避けられるのだろう。

【翻訳:東京大学大学院総合文化研究科 阿古智子教授】

阿古智子
阿古智子

東京大学大学院総合文化研究科教授。 大阪外国語大学、名古屋大学大学院を経て、香港大学教育学系Ph.D(博士)取得
在中国日本大使館専門調査員、早稲田大学准教授などを経て現職
主な著書に『香港 あなたはどこへ向かうのか』『貧者を喰らう国―中国格差社会からの警告』(新潮選書)など
第24回正論新風賞を受賞。