砂むし温泉で知られる鹿児島県指宿市では、住民も家庭に温泉を引けるという、何ともうらやましい「温泉配湯」のサービスがある。だが、いま設備の老朽化や利用者の減少などの課題を抱え、この先の運営が岐路に立たされている。そんな中、「皆さんに温泉に入っていただきたい」と水道業の傍ら配湯事業に参入し、奮闘する男性がいた。

蛇口から温泉「ほとんどの人が体験したことのない生活」

「気持ちがいいです。砂の重みがずっしりくる感じで」。砂浜で横たわり、首から下はすっぽりと砂に埋もれた状態で、気持ちよさそうに目を閉じる女性。指宿名物、砂むし温泉を楽しんでいる観光客だ。

温泉の恩恵を受ける湯の街・指宿市では、波の音を聞きながら砂の中で温泉の熱を浴びる砂むし温泉を目当てに、年間約25万人の観光客が国内外から訪れる。

指宿名物・砂むし温泉   
指宿名物・砂むし温泉
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そして、驚くなかれ。実は指宿では観光施設だけでなく各家庭でも、蛇口をひねるだけで手軽に温泉を楽しむことができるのだ。

「気持ちいいです」。自宅裏にある立派な石造りの露天風呂に、ゆっくり足を伸ばしてリラックスしている男性は、長山智寛さん。「指宿市の一番の魅力は、温泉だったんです」。2023年、神奈川から地域おこし協力隊として指宿にやってきた。長山さんのように、家で温泉に入れることに魅力を感じ、指宿に移住する人も少なくないという。

自宅で温泉を楽しむ長山智寛さん
自宅で温泉を楽しむ長山智寛さん

「ほとんどの人が体験したことのない生活になるので、すごく来てよかったと思うのが一番思うところです」と長山さん。温泉三昧の生活に満足しているようだ。

昭和12年に始まった「温泉配湯」 指宿の暮らしに溶け込む

指宿の暮らしに溶け込む「温泉配湯」というこのサービス、泉源からポンプでくみ上げた温泉をタンクに貯め、水道と同じように配管を通じて家庭に供給する仕組みになっている。だから街には、この配湯に使う市営のタンクや民間事業者のタンクが点在している。

まさに、湯の街ならではの文化。

指宿市誌を開くと、その始まりは戦前の1937年、昭和12年とある。その後、高度経済成長と共に民間事業者も相次いで参入し、市誌が編さんされた1985年(昭和60年)当時は、市内の3分の1、約3,800世帯で温泉を楽しんでいたという。

温泉成分で設備の劣化が早く、対策費用は年々増加

長年、市民に親しまれてきた配湯だが、いま岐路に立たされている。その原因の一つが施設の老朽化だ。「お湯自体に塩分があるので腐食するんですよね。それでモーターをやられるんです」と語るのは、配管の点検をしていた和田信明さん。指宿の温泉は塩湯で、通常よりも配管の腐食が早いそうだ。「お湯が止まったら大変ですからね。ホテルや一般家庭に行かないので」。だから和田さんは、毎日配管の点検作業をしている。

さらに、温泉の成分が固形化した、いわゆる「湯の華」も配管を詰まらせ、設備を劣化させる。配管内の半分以上がふさがってしまうケースもあるという。温泉を扱うが故に発生する、こういった設備の清掃や更新のための費用は、年々増加している。

配管の点検をする和田信明さん
配管の点検をする和田信明さん

利用世帯数が減り収入も減 基本料金値上げに踏み切る

さらに追い打ちをかけるのが、人口減少による利用者の低迷だ。1985年度は約3,800世帯だった利用数は、2014年度には2,700世帯に。そして、2024年度は1,700世帯にまで減少。収入は減るもののメンテナンスに関わる費用が増加という状況を受け、指宿市が運営する配湯は2025年4月、使用料の値上げに踏み切った。

一般家庭は20%値上げし、月の基本料金が3500円から4200円になった。指宿市水道課の安留和信課長は、「皆さんに負担をしてもらうのは心苦しいのですが、温泉配湯を維持していくために必要な経費とご理解いただいた」と説明する。

「温泉配湯をもう辞めたい」業者は最盛期の1/3に減少

一方、民間業者も厳しい運営を強いられている。

「温泉配湯をもう辞めたい。辞める。そういう選択肢の方が強いんですね。この8年間で5業者が廃業しましたので。現実的に」。指宿市温泉配湯業組合の新宮領實組合長は、実情を語る。最盛期には30業者近くいた組合員も、今は3分の1ほどに減ってしまったという。

指宿市温泉配湯業組合 新宮領實組合長
指宿市温泉配湯業組合 新宮領實組合長

また、民間事業者は経営悪化に加え、高齢化による後継者不足といった問題にも直面している。

配湯事業承継『ありがとう』『助かる』約130世帯に温泉を送る

窮地に陥る温泉文化を守ろうと、2024年1月から配湯事業に乗り出した人がいる。指宿市で水道業を営む、大坪泰史さんだ。半世紀以上、配湯を続けてきた先代から相談を受け、「温泉配湯がなくなるとやっぱり大変だろうなと思って。妻にも相談しましたけど、やってみようと」。事業承継という形で、バトンを受け取った。

大坪泰史さん
大坪泰史さん

「24時間止まることがないようにメンテナンスをする作業になります。設備を見に毎日来ています。2,3日に1回、付いている塩を取ったり」。大坪さんは本業の傍ら、約130世帯に温泉を送り続けている。

温泉配湯を利用している市民は、「『このままどうなるのかな』という不安、心配はありました。その点では安心してホッとしました」と感謝している様子。トラブルが起きないよう、こまめな点検が欠かせない仕事だが、大坪さんの決断は長年の利用者を安心させたようだ。

「『温泉をありがとう』『助かる』とよく言われる。それが一番の喜びかもしれませんね。指宿市の財産なので、できる限り皆さんに温泉に入っていただきたいと思っています」。

地道な作業によって温泉配湯という文化を支えている
地道な作業によって温泉配湯という文化を支えている

湯の街、指宿ならではの温泉配湯という文化。その灯を絶やすまいと、支える人たちがいる。「ほとんどの人が体験したことのない生活」を指宿がこれからも提供できるか、事態を見守りたい。

(動画で見る:湯の町の”温泉文化”を守れ 鹿児島・指宿市の「温泉配湯」がピンチ 施設の老朽化や後継者不足

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鹿児島テレビ
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