高校生に独自の視点で旬のニュースを伝えてもらいます。
崇徳高校新聞部2年生、宮本桜さんです。
高校の部活も世代交代の時期ということで宮本さんは「新部長」になったということですね。趣味はガンダムのプラモデルづくりと聞きました。
【宮本桜さん】
「土日など空いた時間にコツコツ作り進めていくことを楽しみに、毎日過ごしております」
そんな宮本さん、きょうはどんなニュースを届けてくれるんでしょうか。
【宮本さん】
「3年生の先輩方を中心に新聞部がこの1年取り組み、今月発行した「被爆80年特集号」から記録や記憶の継承についてお話します」
スタジオにも紙面を大きく印刷したものを用意しました。
まずは、白黒だった当時の写真をAI技術を使ってカラー化したということで、より鮮明に当時の状況をうかがえますし、どういった空気があったかより身近に感じられると思いますが、宮本さんはこの紙面にどういった思いを持ってますか?…
【宮本さん】
「私はカラー化するのはすごく難しいことだと思っていましたが、当時の空の様子や被爆直後の様子などが鮮明に蘇ったことで、当時を思いやすくなったのかなと思います」
同じ地球で、ときが違うだけで、本当に自分たちと同じ世界で起きたんだというところを、改めてカラーで見ると感じます。
そして続いてはこちらの紙面です。
被爆者の方にたくさんお話を伺っているということですが、どういった内容ですか・
【宮本さん】
「多くの被爆者にお話しを聞いているのですが、そのうちの1人、当時8歳で被爆された村上啓子さんの証言をまとめました」
村上さんは、被爆後に弟や叔父と40キロもの道のりを歩いて避難した経験があるということなんですが、今回の新聞部の取材を「最後の被爆証言」として受けてくれたということなんです。
「なぜ戦争をしたのか」、「どうやって原爆が開発されたのか」そして「なぜ核兵器が使われてしまったのか」こういったことを考えることが大切だと力強く語ったということです。
当時の道のりを実際に自分の足で歩いたということですが、どのように感じられましたか?
【宮本さん】
「1日20キロ歩くのに8時間かかったんですが、当時は靴が被爆によって失われたため瓦礫の道を裸足で進まれました。私も一部区間を裸足で歩いてみたのですが、痛くて時間もかかってとても大変でした。当時は原爆により窓ガラスや木材などもいろいろあったと思うので、今思うと、とても私は経験できないかなと思います」
実際に地図でどれくらいの距離を歩いたかっていうのを見てみますと、白島のあたりからスタートをして、2日間をかけて、八千代町のあたりまで歩いたということで、非常に遠くまで歩いたということで、実際にこの距離、平和な世の中であっても大変だということですから、この追体験で変わらないと感じた部分も多いと思います。
宮本さん、今年は戦後80年、被爆80年ということで取材もたくさんされたと思いますけれども、改めてこの1年、どのように感じてますか?
【宮本さん】
被爆80年となる今年なんですが、もちろん節目の年として大事にしていきたいという思いはありますが、平和を思う気持ちはやっぱり81年でも何年でも持つべきだと私は思っているので、高校生でも参加しやすいようなイベントの情報だったり、平和活動だったりを紙面に残して発信していきたいなと思っております」
これから被爆90年、100年、そしてさらにその先の時代のことを考えると、私も含めて若い世代がどのように繋いでいくのか、改めて重要だと感じる1年ですね。
ここまで宮本さんとともにお伝えしてきました。ありがとうございました。