ことしの『山鹿灯籠まつり』、ハイライトの『千人灯籠踊り』は直前に降った雨の影響でやむなく中止となりました。TKUに残る50年以上前の映像を交え、まつりの魅力に迫ります。

【灯籠師 中村 潤弥さん】
「これは両国国技館の本土俵です」

山鹿市で8月15日と16日に開催された『山鹿灯籠まつり』。街角には灯籠師たちが制作した著名な神社仏閣や建物などの奉納灯籠が飾られました。

「お~、カッコいい」

【奉納団体『温泉通』の住民】
「大変良いものを奉納していただいて、ありがとうございます」

【灯籠師 中村 潤弥さん】
「無事に作品の引き渡しができて、ホッとしている(7人の灯籠師)それぞれが工夫して作っているので、街中を歩いてもらって、作品を楽しんでもらえたら」

この日は夕方になると、市内中心部を通る国道で、地元の文化協会や灯籠踊り保存会の踊り手たちが『よへほ節』などを披露しました。

熊本県立鹿本農業高校の郷土芸能伝承部は卒業生も出演。男子生徒たちも参加し、優雅な踊りで観客を魅了しました。

【鹿本農業高校 郷土芸能伝承部の生徒】
「初めての感覚だったけど、ちょっと緊張したけど踊りは、うまくいけたと思います」

ことしは週末と重なり、山鹿市は2日間で15万人の来場を見込んでいました。

集まった大勢の観光客は4000発の花火を見上げ、熊本を代表する夏祭りを楽しんでいました。

まつり2日目・16日の夕方。山鹿小学校には浴衣姿の女性たちが集まり、まつりの呼び物である『千人灯籠踊り』に備えます。

【参加者】
「毎年のことだけど、夏の楽しみです。これ踊らないと夏終わらない感じ」
「間違えないように踊るだけです」

山鹿市のハンドボールチーム『熊本ビューストピンディーズ』からは選手7人が参加です。

【熊本ビューストピンディーズ 須田 希世子 キャプテン】
「アゴ紐でしゃべりずらい。でも楽しみです。灯籠は山鹿でしか経験できないので、〈山鹿にいるうちに、絶対やろう〉と思って参加しました」

しかし、午後8時前、大粒の雨が降り出しました。

観客も踊り手の女性たちも雨がやむよう祈りましたが・・・

【山鹿市の職員】
「踊り手のみなさんにお知らせです。天気の回復が見込めない状況なので、『千人灯籠踊り』は中止となります。申し訳ありません」

【踊り手】
「来年はまた出ます」
「親子で初出場だったんですけど、残念です。また来年、期待しています」

雨が止んだ後は、街角に飾られていた灯籠を大宮神社に奉納する『上がり燈籠』が
無事に執り行われました。

山鹿市によりますと、『千人灯籠踊り』が雨で中止になるのは2008年以来です。

ことしは残念ながら優雅な踊りを披露できなかった参加者のみなさん、そして、幻想的な光景を観ることができなかった観客のみなさん、TKUに残る過去の映像で『千人灯籠踊り』をお楽しみください。

今から55年前。1970年、昭和45年の様子です。白黒映像のため色鮮やかな様子は分かりませんが、櫓のまわりで大勢の女性が踊る山鹿の夏祭りに多くの人が訪れているのが分かります。

新たな観光資源で観光客をもてなそうと考案された『千人灯籠踊り』は1956年、昭和31年に初開催の予定でした。

しかし、この時も雨で中止に。翌年の1957年が初開催となりました。

関係者によりますと、当時は参加する踊り手が自ら作った金灯籠を頭に載せて踊っていたそうです。

参加する踊り手たちは公民館などに集まり、練習を重ねます。

心を一つにして本番に臨む姿は昔も今も変わりません。

和紙で作られる金灯籠にとって湿気は大敵。過去にも台風接近や、直前の夕立で開催が危ぶまれたことも。
灯籠に袋を被せて雨が止むのを待ったことも度々ありました。

コロナ禍による3年間の自粛を経て、2023年には4年ぶりの開催となりました。

山鹿の街が1年で最もにぎわう夏の2日間。次は『千人灯籠踊り』ができますように。

また来年、山鹿市でお会いしまょう。

テレビ熊本
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