広島の高校生と被爆者が二人三脚で描く「原爆の絵」
この夏、初めて関東の美術館で大規模な展覧会が開かれています。
「絵」がつなぐ“あの日の記憶”から継承について考えます。
神奈川県川崎市にある「川崎市岡本太郎美術館」
“芸術界の異端児”と呼ばれた岡本太郎の作品が数多く展示されています。
原爆や水爆が炸裂する瞬間を描いた代表作「明日の神話」
岡本太郎はヒロシマに思いを寄せた芸術家の1人です。
ここで先月から“原爆”をテーマにした展覧会が始まりました。
開催のきっかけは“あの日の記憶”を描く高校生たちの取り組みです。
【川崎市岡本太郎美術館・土方明司 館長】
「今年は被爆80年、終戦80年という節目の時に何か社会へのメッセージを発することができる展覧会を考えて、基町高校の貴重な取り組みを知った」
被爆者の体験のなかで強烈な印象を抱いた場面を描く「原爆の絵」
原爆の惨状を後世に繋げようと原爆資料館が基町高校の生徒に呼びかけ、2007年から始まりました。
完成までの期間は平均でおよそ8か月。
何度も何度も打ち合わせを重ねて絵が完成します。
<2007年の制作様子>
【被爆者・松原美代子さん 2018年死去 85歳没】
「こんな感じに。いいね上手よ。この表情は上手いね私には絶対描けないよ」
これまでに描かれてきた絵は全部で222点。
18年に渡り、二人三脚の制作は続けられてきました。
〈2017年〉
【兒玉光雄さんの被爆証言】
「校舎の下敷きになって焼け死んだ。生きたまま」
爆心地から800mで被爆した兒玉光雄さん。
放射線による後遺症で次々とガンが見つかり、手術を20回以上繰り返しながらも、「原爆の絵」と共に“あの日”を伝え続けました。
【故 兒玉光雄さん】
「本当に若いのに修羅場を知らない子がよくここまで頑張って描いてくれた。
(自分のように苦しむ)こんな人間を2度とこの地球上に生んではいけないというのが私の信条」
2020年、兒玉さんは88歳でこの世を去りました。
今、兒玉さんの想いは「絵」に託されています。
<岡本太郎美術館 母の塔>
今回、美術館では直接、キャンバスに描かれた「原画」を展示しました。
作品の数は42点、これだけの点数が並ぶ展覧会は関東初の試みです。
【岡本太郎美術館・土方明司 館長】
Q:原画の展示にこだわった理由は?
「オリジナル作品でしか味わえないリアリティ、密度の濃さ、被爆者の想いと原爆を知らない若い世代の葛藤、二人三脚の共同作業でしか得られない絵の重みが込められている」
会場には兒玉さんの絵も並びました。
【訪れた人は(横浜在住)】
「非常にショッキングというか、生々しいというか、何年たっても忘れてはいけないと感じた。どうしても直接、関東の人は触れることが少なかったので、(展覧会)は意義のあることだと思う」
「絵を描いている高校生もきついと(思う)でもそうやって受け継いでいかないと残っていかない」
被爆者なき時代は確実に近づいています。
それでも、世代を超えて描かれた「原爆の絵」は未来に繋がれていきます。