鉄道の魅力を熱くお伝えする野川キャスターの「てつたま」です。
さて、8月6日、広島は原爆投下から80年を迎えました。
先月、京都鉄道博物館の様子をお届けしましたが、その時に貴重な資料も取材していました。
鉄道マンから見た80年前のあの日の記録です。

【京都鉄道博物館 学芸員岡本健一郎課長・野川アナ】
「3階にやって来ています。図書資料室という、こちらで広島にとって本当に貴重な鉄道資料を見せていただけるということで、普段公開をしていないんですが、今回特別に拝見するということになっております。失礼します」
「こんにちは」
「ありがとうございます。きょうはよろしくお願い致します」
「お願いします」

図書資料室では、鉄道の歴史や技術などの解説書や統計書に加え、明治時代に帝国鉄道庁が発行を始め、国鉄の終わりまで続いた『鉄道公報』も所蔵しています。

【京都鉄道博物館 学芸員岡本健一郎課長・野川アナ】
「こちらにご用意いただいたのが、その歴史的な史料ということですね」
「はい、こちら戦前の国鉄にあたる広島鉄道局という支社のような体制がありまして、その中の毎日の報告、各部署への報告、伝達」
「日報ということなのですかね?」
「日報に非常に近いもので、それの一つが昭和20年のものがありまして、広島のことがよくわかる内容になってます」

この本は、昭和20年7月から12月までの日報をまとめたもので、そこには忘れてはならないあの日の記録も含まれています。

【京都鉄道博物館 学芸員岡本健一郎課長・野川アナ】
「戦時中になりますので、広島鉄道局の中に聯合義勇戦闘隊報という形で戦時体制に移行している」
「広島鉄道局の中の一つ組織としてあったということですか?」
「この当時、国民がみんな戦争に協力するという形になって、名称変更して鉄道輸送を担っていたということになります」

戦時中、山陽本線は東海道本線と並ぶ本州の大動脈で軍事物資や人員の輸送など重要な役割を果たします。
隊報には、どこへどんなものを運んだかなど日々の業務が記されていました。


そして広島は8月6日を迎えます。

【京都鉄道博物館 学芸員岡本健一郎課長・野川アナ】
「本当にここから空気が変わりますね」
「そうですね。8月9日に手書きのガリ版刷りで、これも裏を見るとボロ紙といいますかもともとは余った紙で」
「そうですね、裏紙ですね。いわゆる」
「裏紙ですね。これで印刷をされて、必要なところにこういった通達が出たと。一番最初に臨時聯合隊本部を設置するという通達になります」
「臨時聯合隊本部」
「はい。この支社の建物が被害を受けたと思うので、近くの広島第二機関区付近の客車内に本部を設置するという形になってます」
「客車に本部が設置された」

原爆投下時、爆心地から2キロ以内は壊滅的な被害を受け、山陽本線も例外ではありませんでした。
鉄筋構造の広島駅は内部が全焼。
線路も大きな被害を受け、山陽本線は不通になりました。
そして原爆投下からおよそ3時間後に、広島駅から東へおよそ1キロほどの場所にある、現在の下関総合車両所広島支所あたりへ聯合隊本部が設置され、復旧作業にあたります。
山陽線が仮復旧したのはわずか2日後のことでした。

【京都鉄道博物館 学芸員岡本健一郎課長・野川アナ】
「使命感ですよね。そういったところで、必死に動き出して、2日後には限られた範囲だけれども、鉄道を動かした。本当に何かその時の空気が伝わってくる文面ですね」
「そうですね。今、私たちがいろんな写真とか情報で知っている当時の広島の様子を見ると、再開させたっていうのはすごい苦労があったかなというのは、これからよくわかると思います」

手書きの隊報は11日にも発行され、原爆投下から6日後の8月12日には再び印刷へと戻ります。
そこには復旧に当たる鐡道職員を鼓舞する訓示が記され、勇ましく、こう締めくくられています。

「斃れて後已まざるの気魄を以て山陽線の輸送を瞬時と雖も止めざるべきを期せよ」

【意味】
たとえ倒れようとも止めることはできないという気迫を持ち、山陽線の輸送は一瞬でも止めないよう努めなくてはならない

【京都鉄道博物館 学芸員岡本健一郎課長・野川アナ】
「鉄道マンが本当に力を合わせて山陽本線を復旧させて、国に尽くすというところの訓示が出ましたが、この次になるとまたちょっと雰囲気が変わってますね?」
「そうですね。この次になりますと、8月15日、終戦の日があり、玉音放送があり、8月20日が次の発行日になっています」
「8日飛んでいる。まさにこの8日というのは、本当に国の歴史が変わる位のことがあった期間ですけど…」

「そうですね。8月20日。臨時の号外としてこの局報が出されてますけど、戦争が終わったので(日報の名称が)広島鉄道局報に、戦争前に体制が戻ったことがこれからわかります。
同じ人が隊長から局長に名称変更して訓示があり、『去る8月15日正午に畏くも大詔をラジオ放送に拝して、帝国臣民として泣かなかった者はあろうか』ということから始まって、かなり書き方も柔らかく感じになってますけど、新たな時代と言うか、体制になっていくところで、その中でも、やっぱり鉄道っていうのは自分達が一生懸命やらないといけないと言うことで、今までのことを乗り越えながらやって行きましょうと、改めて訓示を出して、広島鉄道局として進んでいこうということを局員たちに伝えた」

「戦後この時期を過ぎていくと、特に復員の方であったりとか、人の移動というのも本当に激しくなっていって。役目のところでは本当に鉄道の意味でいっても大きな変わり目だったと思いますけども。本当にずっと通ずる鉄道マンの自分たちの仕事の使命感、鉄道マンとしての矜持、プライド、この辺りは本当に大きく伝わってきましたね」
「端々にどんな状況になっても鉄道運行はできるだけ止めないように、自分たちの職員として何をすべきかというところが、やっぱり変わらないといいますか。鉄道の運行を支えるという意味でずっと続いてきた思いかなと思います」
「私も広島で生きる人間として、そして鉄道が好きな人間として、この記録に接することができたというのは、本当に自分の財産になりました。ありがとうございます」
「ありがとうございます」

《スタジオ》
選ぶ言葉、あの手書きの部分、当時の皆さんの息遣いのようなものが伝わってくる、そんな気がしました。

【野川アナ】
本当に歴史的な貴重な資料ですね。当時も今も山陽本線は物流の大動脈であります。
ただ、当時は今ほど空路は一般的ではない、道路も整備されていない、今とは比べ物にならないぐらい重要な大動脈だったと思います。
戦局が悪化する中で、一般の人の鉄道利用というのは制限をされ、軍事物資をとにかく運ぶことを最優先にという状況だったと思います。

そして、広島に原爆が落ちた直後は、何が起きたかもわからないような状況。その中で、とにかく山陽本線を止めてはいけないんだという気持ちで立ち上がった鉄道マンの魂を見たような、そんな気持ちになりました。
そういった先人たちへの感謝の気持ちも忘れずにいたい。
本当に大切な資料を見せていただきました。
ありがとうございました。

テレビ新広島
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