歴史のロマンを感じる研究成果です。約150年前の西南戦争に関する日記を熊本大学の研究チームが分析。これまで知られていなかった熊本市内・水前寺エリアでの戦闘や、地域に与えた影響について解き明かしました。
熊本大学永青文庫研究センターの今村 直樹 准教授らは今回、細川家が経営していた「砂取絞蝋所(すなとりこうろうしょ)」の従業員が1877年・明治10年に書き綴った西南戦争に関わる日記を研究。「絞蝋所」とはハゼノキから灯り取りのロウを作る工場で熊本市中央区水前寺、現在のジェーンズ邸周辺で操業していたとされています。
今回初めて解読された絞蝋所の日記は「明治十年変動中日記等写」というタイトルで全49ページ。絞蝋所が熊本県庁の移転先候補になったことや水前寺地域で激しい戦闘が3度行われたことなどこれまで知られていなかった事実が記されていたということです。
また、今回の研究では1670年代に水前寺成趣園内に建てられ、西南戦争で焼け落ちた元御茶屋の「酔月亭(すいげつてい)」という建物にも言及。酔月亭の焼失原因はこれまで謎とされてきましたが、日記にその真相が記されていました。
【熊本大学永青文庫研究センター 今村 直樹 准教授】
「熊本城に残った兵士たちに自分たちがどう進んでいるのか進路を知らせるために酔月邸に火をつけ狼煙代わりにした」
ちなみにこの場所には、その後「古今伝授の間」が移築され現在へと受け継がれています。
調査にあたった今村准教授は「再来年の2027年には西南戦争から150年を迎える。博物館などと連携をとり展覧会を企画する予定のため、さらに研究を深めていきたい」と話しています。