■赤と黒に封じられた炎の記憶 94歳詩人が描く東京大空襲
14歳の少年の目に焼き付いた東京大空襲の悲惨な光景。「きみは姿を消した きみといっしょに見慣れた帽子も革靴も姿を消した」上田市に住む94歳の詩人、田中清光さんが紡ぐ言葉には、80年前の記憶が生々しく息づいています。赤と黒の不気味な色彩で描かれた絵画には、言葉では表現しきれない戦争の悲惨さが封じ込められていました。半世紀の沈黙を破り、詩と絵で表現された戦争の記憶と、二度と繰り返してはならないという切実な願いとは。
■燃える東京 14歳の少年が見た地獄
「燃える東京ですね」
静かに語られたその一言には、80年前の記憶が鮮明に刻まれています。赤と黒。美しくもあり、不気味でもある色彩の中に、当時14歳だった田中さんの目に焼き付いた、あの夜の炎が表現されていました。
1945年3月10日未明、アメリカ軍のB29爆撃機約300機が東京を襲い、1700トンほどの焼夷弾が投下されました。東京大空襲です。逃げ場を失った多くの人が猛火の中で命を落とし、一夜にして10万人が亡くなったといわれています。
戦時中、東京に住んでいた田中さんは、この恐怖の一夜を何とか生き延びました。しかし空襲の翌日、親友を捜しに出かけましたが、家も友人も見つかりませんでした。突然、失った友、そして道中で目にした無数の死。その光景は、14歳の少年にはあまりにも重すぎるものでした。
■50年の沈黙を破って
終戦後、疎開先の上田市で暮らし、45歳で上京して詩人を目指した田中さん。しかし、東京大空襲について語ることはしませんでした。田中さんは、「簡単には書けなかった。あまりに凄まじく、生々しい体験で。今まで私が用いていた言葉では表現するのが難しかった」と、その思いを語っています。
転機は60歳の時でした。病気を患い、死を意識したとき、生きているうちにあの記憶を伝えなければと決意します。こうして戦後50年が経って生まれたのが、空襲で亡くなった親友を思い作られた199行にも及ぶ詩「東京大空襲 少年時の親友Kに」でした。
「きみは見たに違いない 地獄を 本物の地獄 いちめん火の粉を噴き上げる地上 焼け焦げる空 次々に人間が炎にのみこまれてゆく焦熱地獄を」
詩の中で田中さんは、親友への思いを切々とつづっています。
■赤と黒のデカルコマニー 言葉を超える表現
しかし、詩だけではあの悲惨さを表現しきれないと、田中さんは考えていました。そうして始めたのがデカルコマニーによる絵の制作でした。デカルコマニーとは、絵の具を付けた紙に別の紙をのせ、はがした時に偶然できる模様を作品とする技法です。これを使い、作り上げたのが、赤と黒の絵「東京大空襲」でした。
「私の中に刻まれてる大空襲の全ての光景があります。家の周りや街がどんどん焼けてしまって、道端にはごろごろ焼死した死体が転がっていたもの全部を見てしまった。私はその時、まだ14歳。本当に言葉にならない」と田中さんは語ります。
「その時のイメージを出すにはどうしたらいいかを考えたときに思いついたのが、デカルコマニーの技法。私としてはもうあれしかない形だった」
■22年間の鎮魂の祈り
2025年3月、田中さんは40年余り暮らした千葉県市川市から、再びふるさとの上田市へ移り住みました。自宅には、これまでに制作したたくさんの絵画が保管されています。東京大空襲と書かれた中にも、多くの赤と黒の絵が収められています。
田中さんの妻は「私は実際に空襲の場に立ち会っていないが、主人が書いたもや東京大空襲の詩を読むと、本当にその時どんな気持ちだったのだろうかと。やはり平静ではいられない」と語ります。
田中さんは22年もの間、毎年3月10日に、鎮魂の祈りを込めて、赤と黒の絵を作り続けてきました。作品の裏にはタイトルが記されたものもあります。
「東京大空襲 引き裂かれた朝」
「逝ける友よ」
毎年3月10日になると、あの時亡くなった10万人の方たちの命と親友への思いを、祈りに変えて作品を作り続けてきたのです。
■伝え続ける想い 二度とあってはならない
2025年5月、長野市のギャラリーで田中さんの作家人生を振り返る展覧会が開催されました。東京大空襲を経験した女性は「私も同じ経験をしてきました。戦争は軍人や兵隊だけのことじゃない。普通の市民の人たちがどれほど大変な思いをして暮らしてきたか」と話します。
訪れた人々は田中さんの作品に強い印象を受けていました。「先生の赤の色が印象的で、ただ自分で描いたのではなくて写し取ったのと、その両方の虚実が一緒になっている。今感激しています」、「すごい情熱。驚きと悲しみと切なさが出ている」
今はふるさとで静かな時間を過ごす田中さん。それでも、80年前の記憶が薄れることはありません。
「忘れられません。ああいうことはあってはならない。だからそういうものを作っているんだよね。あってほしくないから」
田中さんの詩の最後は次のように締めくくられています。
「永遠の靴を履けぬきみのめぐり うずたかく歳月の積もる中で 草木がものいうのは 見えている瞬間に対してだけではない われら人間の終わりのない悲歌とも 問答を続ける」
80年前の記憶を、詩と絵に託して伝え続ける94歳の詩人。その切実な願いは、今も私たちに静かに、しかし力強く語りかけています。
※本記事は、NBSフォーカス信州 2025年8月1日放送回
「戦後80年 記憶の灯火」をもとに構成しています。