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プレスリリース配信元:坂井市役所

福井県坂井市教委 基本計画策定へ初のエクスカーション


丸岡城の城山整備の基本整備計画の策定のために、石垣やお天守周辺の立木などについて、現地で確認するエクスカーション参加の市民や識者ら=2025年7月8日

 現存十二天守のひとつ、重要文化財の「丸岡城」天守の国宝化を目指す福井県坂井市の教育委員会は7月8日に、城山整備基本計画策定に向け、課題の把握や現状を確認する現場視察(エクスカーション)を行った。お天守が鎮座する城山は、明治、大正時代の城の荒廃のあと、昭和初期には次第に公園化が進み、桜などが植えられ大きく景色が変わり、石垣も法面も何度か崩落に遭っている箇所があるなど築造当時の江戸時代の面影とは大きく姿を変えている。どこまで往時の城山に戻すのかなどの基本方針が計画案に盛り込まれる予定で、この日参加した市民20人や専門家らは、城を見上げながら「国宝化に向け、城としての丸岡城をどう見せていくのか、より良い姿を考えていきたい」と今後の整備に期待を込めていた。市教委は、城山整備基本計画は2026年度末の策定を目指し、翌27年度から具体的な事業に着手していく。
市民ら約60人:景観、植栽、昔に戻すか、調和か エクスカーションに参加したのは、公募に応募した市民20人のほか坂井市議8人、「丸岡城城山整備基本計画策定委員会」の仁科章委員長(坂井市文化財保護審議会副会長)、同メンバーで丸岡城調査研究アドバイザーの吉田純一氏(福井工業大学客員教授)ら学識者6人と委員や事務局員らで総勢60人ほど。参加者は、市教委の学芸員の案内に従って、正面から南、西、北の順でほぼ天守を一周するルートで巡り、ポイントポイントで石垣の傷み具合や、植栽の様子、昔の図面に記された門跡や建造物などの現状の説明を受けていた。




猛暑の中、天守を一周しながら視察する市民ら(上)。終了後に大勢の参加者、「丸岡城をどうのように見せるかが大事」など、城山整備の重要性を説く中井均氏(下)

 約40分ほどの現地巡回を終えた参加者は、一筆啓上茶屋に集合。策定委員から▽樹木や景観▽遺跡保護▽歴史的建造物…の視点から、それぞれの課題などの説明を受けた。城の景観や造園に詳しい、丸山宏・名城大名誉教授は「これから育ってくる樹木を放置すると石垣を痛める可能性がある一方で、法面は崩落を防ぐ可能性もある。密に植わっている部分をどうするか、危険な場所から処理すべき。景観的には、天守の屋根瓦がよく見えるように、高い木々は除去したほうがよい」などと話した。また城郭の専門家である中井均・滋賀県立大学名誉教授は「現存十二天守の中で、城や周囲が国の史跡となっていないのは、丸岡城だけ。重要文化財ではあるが、城跡としては満身創痍の状態。城跡として、内堀も含め、城そのものの土台をどう残していくのか、どう見せていくのかが今問われている」などと語った。
参加者の一人で、丸岡城観光ボランティアガイド協会長の大霜哲夫さん(80)は「天守を案内すると観光客からよく江戸時代はどうだったのか、問われることがある。しかし見せられるものが天守しかない。今後基本計画がまとまり、門などがひとつひとつ復元していく方向だとありがたい」などと語った。
 エクスカーションを終え、坂井市教委丸岡城国宝化推進室の北林周記室長は「多くの参加者に城山を見ていただき、景観上や植栽など、ある程度の現状や課題が共有できた。城山の整備は丸岡城の本質的な価値を明らかにしてゆく大事な整備と考えている。市民に親しまれ、愛される整備をしていくよう基本計画を策定したい」と話していた。

丸岡城
丸岡城とは 別名、霞ヶ城とも呼ばれ、平野の独立丘陵を利用してつくられた平山城。春の満開の桜の中に浮かぶ姿は幻想的で、ひときわ美しい。戦国時代の天正4年(1576年)、織田信長の家臣である柴田勝家の甥・勝豊の築城と伝えられる。標高27mの独立丘陵を本丸として天守を築き、江戸時代にはその周囲に二の丸と内堀、その外側に三の丸と外堀を巡らせていた。
 丸岡城天守は、江戸時代以前に建てられたものの、その後、修築などを経て江戸時代から現在まで当時の姿を残し、現存12天守の1つに数えられる。戦後の昭和23(1948)年の福井地震により石垣もろとも完全に倒壊したが、天守の材料や石垣などの主要部材の多くを再利用し、昭和30(1955)年、修復修理された。現存十二天守の中で、完全に倒壊した状況から修復された天守は、唯一丸岡城天守のみ。
 現在、立ち続けている古式の風格のある姿は、消滅の危機という、困難な道のりを経ても立ち上がり、復興してきた証しであり、その歴史は他にない波乱の運命を歩み、奇跡の修復城と呼ばれるにふさわしい。




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