「助けてー!」そんな泣き声が今も耳にこびりついている——。91年前の庄川洪水を伝える石碑が、富山県射水市に静かに佇んでいる。災害の記憶を未来へと繋ぐ「自然災害伝承碑」だ。

この記事の画像(11枚)

「空までも届く真っ赤な泥水」91年前の庄川大洪水

今から91年前の7月11日、富山県の庄川で大規模な洪水が発生した。当時を知る88歳の豊田和雄さんは「富山県と岐阜県境の山のほうで、ものすごい雨が降った。庄川が増水して、小牧ダムが持ちこたえられず、ゲートを開けた」と語る。

この洪水の記憶を伝えるため、射水市の庄川沿いには7つの「自然災害伝承碑」が建てられている。石碑には「11日9時半ごろ庄川は堤防を越水、濁流は新湊まで達し死者16人」と刻まれている。浸水した高さを示す記録も残されており、最も高いところでは16メートルに達したという。

豊田さんは「当時は今のような堤防はない。今よりも低い堤防が越水して、中田から大門まで7カ所決壊した」と説明する。11日の午前10時10分、堤防が決壊し、現在の射水市一帯は湖のようになった。この洪水による死者は全体で20人、流出・破損した住宅は5000戸以上に及んだ。

紙芝居に残された悲しみの記憶

「家々は水をかけた砂糖菓子のように崩れ去り、大きな古木すら割り箸を倒したみたいにもろく流されていった」

今では当時の洪水を語れる人はほとんどいないが、昭和50年代に地元の婦人会が作った紙芝居に記録が残されている。浅井コミュニティセンター長の林原克己さん(70)は「当時、昭和57年、58年の婦人会の方が紙芝居を作った。今、最近は機会がなくなった」と話す。

紙芝居には、「『助けてー!』そんな泣き声を聞いてもどうすることもできない。悲しい悲しい声は今も浅井のお年寄りたちの耳にこびりついて離れません」と描かれている。

川から2キロ離れた旧浅井小学校も大きな被害を受けた。林原さんは「水位標を見るとほとんどが埋まってしまうような、体よりもまだ上のところがたくさんある。人の命も奪ってしまうような災害だったんだな」と当時の被害の大きさを語る。

富山の急流河川と災害の教訓

なぜ庄川はこれほどの洪水を引き起こしたのか。その理由は富山県特有の地形にある。3000メートル級の北アルプスや周囲の山々から一気に富山湾へと流れる県内の河川は全国的にも稀な急流河川である。少しの流量でも護岸を削り、常願寺川や黒部川でも洪水が起きてきた歴史がある。

豊田さんは「そういうことがあった。先祖が苦労した。災害は忘れたころにやって来るぞ。日頃から常に注意を怠らずに心構えをしとけよ」と警鐘を鳴らす。

記憶を未来につなぐ「自然災害伝承碑」

「自然災害伝承碑」は2019年にハザードマップに追加された地図記号で、過去に発生した自然災害を伝える石碑やモニュメントを示している。全国に2000カ所以上あり、富山県内には16カ所、うち7カ所が射水市の庄川沿いに設置されている。

フジテレビの上垣皓太朗アナウンサーは災害遺構を巡ってブログに綴っている。「流域治水が最近注目されているけれど、流域全体で対策が大事。どの川の流域に住んでいて、その川がどう氾濫をして繰り返した土地にいるか」と過去の災害を学び、教訓を活かすことの大切さを感じ取っていた。

富山テレビ
富山テレビ

富山の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。