人吉市の九日町商店街に移動しました。
このあたりの5年前を振り返りますと、当日、人吉市内で甚大な被害が出ているという情報は入ったんですが、高速道路も止まり熊本市内から陸路で入ることができませんでした。
私たちは新幹線で水俣まで移動し鹿児島経由で人吉市内に入り到着したのが夕方の4時ごろでした。
その時には水はすでに引いていましたが一面茶色と化した街並みを見てショックを受けたのを今でもはっきりと覚えています。
今はすっかり、元の街並みに戻ってきたように感じます。
ただ、このあたりの人たちに話を聞くと、見た目は元に戻ったが人通りが少なくなった。
今後の人口減少が心配だとの声を多く聞きます。
人吉市の隣の球磨村では人口が5年前に比べてほぼ半分に減ったとのデータもあります。(人吉市31764人→28697人 球磨村3212人→1622人)
この通りは温泉旅館も多く立ち並んでいますし球磨川下りの発船場もあります。
5年たった被災地の今について話を聞きました。
【あゆの里 女将 有村 政代 さん】
「その時(5年前)はどうなるかという感じだったが、なんとかここまで乗り切れたから感謝の気持ちでいっぱい。(当時)みんなに<よかったね>と言って、手を握ってお見送りをするその時のことを考えて命が大事だとつくづく思った。少しづつ街もきれいになっていて肥薩線があと8年で再開するので、それを目指して私たちも夢をもって頑張りたい」
【きょうの発船場】松岡人吉市長や船頭らが黙とう
【球磨川くだり 藤山 和彦 GM】
「<球磨川下りだけが>ではなくて、人吉・球磨全体が水害で落ち込んだのを糧にして新たな発信や伝統文化を守ったりそういう取り組みをみんなで行いたい」
5年たちましたがまだまだ被災地にはたくさんの課題が残されています。
場所によって、人によってその課題は様々です。
まずは災害を風化させず被災地に思いを寄せ続けること。
そして何より日常が一瞬で奪われる災害がいつどこで起きるか分からないこと、そのための備えをしっかりするというきっかけにしてほしいと思います。
7月豪雨から5年を迎えた人吉市から中継でお伝えしました。