「努力に勝る天才なし」──逆境を乗り越え、夢へと駆け上がる自転車選手
力強くペダルを漕ぎ、坂道を駆け上がる姿が印象的な、愛媛県西条市出身の日野泰静選手(24)。
「地元をもっと盛り上げたいなと思いますし、まだまだ一般の方にも知られていない部分があるので、自分が活躍して愛媛県に自転車競技をもっと盛んにして広めていきたい」と語る日野選手。
四国初のプロサイクルロードレースチーム「ヴェロリアン松山」に所属する彼は、地元愛媛から世界へと羽ばたく夢を追い続けている。

挫折を糧に新たな道へ
今年2月に開かれた、「Jクリテリウムツアー」開幕戦で見事3位に輝き、チーム設立2年目で初の表彰台に上がった。
ヴェロリアン松山の清水裕輔監督は「努力家で才能もあるが、自分自身にとても厳しいことを課せられる選手」と評価する。
「ロードレースって苦しい場面が多くて、それを耐えて最後ゴールしなくちゃいけない。そういったところで苦しいときに耐えられない状況ってあるんですよね。そこを耐えて上位に入るというのは大事」と語り、日野選手の強みを認めている。

目指す道のりは険しかった
小学1年生から自転車競技を始めた日野選手は、競輪選手を目指していた父の影響を受け、自身も競輪選手を志した。松山城南高校時代には、インターハイ個人で2度日本一に輝く輝かしい実績を残している。
しかし高校卒業後、競輪選手養成所入りを目指す道のりは険しかった。倍率5〜6倍という難関試験の壁に阻まれ、夢は叶わなかった。
「今後受けられないというので、どうしようもないというか、落ち込みましたけど。これも人生だなと切り替えることができた」と当時を振り返る日野選手。
その悔しさを胸に去年9月、ヴェロリアン松山への加入を決断した。短距離から長距離のロードレースへの転向は大きな転機となった。

表彰台の喜びと新たな挑戦
「(ロードレースの)最終局面、足を使った状態での最終スプリントなんですけど、力使ってない状態と比べても同じパワーが出せるのが自分の持ち味です」と日野選手は語る。
最後まで全力疾走できる脚力とメンタルの強さが、走行距離300キロに及ぶロードレースに合っていると言う。

全日本選手権ロードレースに挑む
6月22日、静岡県伊豆市で開催された全日本選手権。
気合いの丸刈りで挑んだ日野選手だが、30度を超える暑さの中、アップダウンの激しい1周8キロのコースを20周する過酷なレースとなった。
日野選手:
「気合というか、前回のレ-スから落車も続いたのでリフレッシュの意味も込めて」
気合十分の日野選手、ウォームアップで気持ちを整える。

親子が栃木から応援に駆け付けた
レース会場にはヴェロリアン松山のユニフォームを着た親子が。栃木から応援に駆け付けてくれた。
栃木から応援に来た親子:
「宇都宮ブリッツェンという栃木の自転車チームがあるんですけど、そこから監督とか選手が移籍して立ち上げたチームですので、そのまま引き継いで応援したいなと」
親子:
「レースで事故とか遭わずに、元気でレースに勝ってほしいです」

前のポジションからスタート!しかし…
全国のプロのロードレーサー124人が出場する中、日野選手は前のポジションからスタート。
30度を超える暑さの中、アップダウンの激しい1周8キロのコースを20周する過酷なレース。序盤に3人の選手が飛び出し、日野選手らヴェロリアンの選手は第二集団につけます。
応援の親子:
「ファイト!」
佐野快成アナウンサー:
「レース最初は120人ほどの選手がいたんですけど、次々と脱落して8周目に入ったのは70数名となっています。」

日野選手が集団から遅れ始める
9周目時点でトップ集団との差が開き、リタイアとなった。
結局ゴールできたのは124人中34人という過酷なレースで、ヴェロリアン松山の選手は全員リタイアという結果に終わった。
「暑さ対策もしながら前半は調子よかったんですけど、後半さしかかる前から体力的にきつくて、のぼりが特にきつくて、くらいついていったんですけど、トップ選手はすごい強かったです」と日野選手。
「来年全日本にリベンジしたいと思います」と悔しさをにじませた。

悔しさが残った全日本選手権
プロの世界で日野選手が胸に刻む言葉は「努力に勝る天才なし」。
「日々の積み重ねがすごい大切になってくると思うので、当たり前のことを当たり前にできる人ってなかなか少ないと思ってて、やり続けてきた人が頂点に行くと思う」と語る日野選手。
悔しさを努力に変え、ペダルとともに夢へと駆け上がる日野選手の姿は、多くの若いアスリートに勇気を与えている。
愛媛から世界へ、その挑戦はまだ始まったばかりだ。
