富山大空襲を体験した父親と共に記憶を語り継ぐ西田亜希代さんと娘の七虹さん。沖縄慰霊の日に合わせ、戦争の記憶がどのように受け継がれているのかを学ぶため沖縄を訪れた。
平和の礎で感じた家族のつながり


6月22日、沖縄県糸満市の平和祈念公園。「平和の礎」を訪れた西田親子の姿があった。この石碑には国籍や敵味方の区別なく、沖縄戦で亡くなったすべての人の名前が刻まれている。

「大切に弔われているその感覚が伝わってくる」と亜希代さん。高校2年生の七虹さんも「家族の間でも戦争で亡くなった先祖を敬っている雰囲気が感じられて、その文化はすごく素敵だと思った」と感想を語った。

この日は「慰霊の日」の前日。訪れた81歳の女性は、沖縄戦で亡くなった父親の記憶はないものの、毎年この場所で家族のつながりを感じている。88歳の女性は「戦のない世の中にしてください。今からを生きる子ども孫たちに苦労させたくはない」と、親子3世代でこの場所を訪れた思いを語った。

薄れゆく戦争の痕跡と記憶継承の課題

沖縄戦は1945年3月に始まり、3カ月以上続いた戦闘で20万人余りが犠牲になった。当時の沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされる悲惨な戦いだった。

しかし戦後80年が経ち、激しい地上戦の面影は薄れつつある。西田親子が訪れた那覇市内のおもろまちには、かつて「シュガーローフ」と呼ばれ熾烈な攻防が繰り広げられた丘があるが、現在は再開発が進み、過去の戦闘について伝えるのは展望台下の案内板だけだ。
「まさかここだとは思わなかった。新しい街で近代的なので、シュガーローフがここということにびっくり」と亜希代さん。七虹さんは「歴史や起きたことは誰かが努力して伝えたり、広めないと忘れてしまう人もいる」と語った。
物言わぬ語り部と資料館の必要性

一方で沖縄には、ひめゆり学徒隊や県立平和祈念資料館など、戦争の悲惨さを伝える施設が各地にある。県立博物館では、沖縄の文化を戦争が破壊した歴史も伝えている。
琉球王国時代の神殿の門に掲げられていた扁額の展示を見た亜希代さんは「くり抜いてトイレにされたんだって」と説明。七虹さんは「えっ」と驚いた様子だった。
亜希代さんは「子どもたちが学べる施設の中に戦争が織り込まれているのが各地をみて共通していて富山でもあればいいな」と、大空襲の被害を受けた富山でも常設の資料館の設置を望んでいる。
次世代へつなぐ平和への願い

6月23日の「慰霊の日」、西田親子は沖縄全戦没者追悼式に参列した。「ものすごい人の数でびっくり。子ども連れから学生さん、県をあげて慰霊祭を迎えていると感じる」と亜希代さん。七虹さんも「この暑さにも関わらず、子どもからお年寄りまで来ていて、この日はすごい特別だと感じる」と述べた。

80年たっても癒えない深い悲しみ。その記憶は親から子、子から孫へと受け継がれていく。亜希代さんは「沖縄戦を子どもたちに語り継いでいこうという一般市民の思いが伝わってきた慰霊祭だった」と語った。

七虹さんは「すべての世代に戦争のことを知ってもらう必要があると思う」「この輪を広めるための活動がもっと必要だと思って、同年代の人たちにどう輪に入ってもらうか、そこが大事かなと思う」と、若い世代の役割を自覚した様子だった。
富山でも世代を超えた記憶継承の取り組みが求められている。