「80年前はひどい戦争があった」94歳声楽家、音楽に乗せて平和を伝え続ける

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東京と富山で2度の大空襲を体験した94歳の声楽家・浅岡節夫さんが、戦後80年の今年、自らの戦争体験と平和への思いを込めたコンサートを富山市で開いた。原爆をテーマにした曲「死の灰」のあと浅岡さんの目から涙がこぼれ落ちる場面もあった。「戦争というのはむごいものだった」と語る彼の声は、過去の記憶と未来への祈りを宿している。

14歳で体験した2度の大空襲、音楽と共に生きる人生

浅岡節夫さんは80年前、14歳の時に東京と富山で2度の大空襲を経験した。その後、高校の音楽教師となった浅岡さんは、教え子たちとコーラスグループを結成し、10年以上にわたって活動を続けてきた。浅岡さんは音楽指導だけでなく、自らの戦争体験も積極的に伝えてきた。

教え子の一人は「ご兄弟を戦争でなくされているとか、空襲にあったという話を練習の合間に生々しく聞いて、自分が体験したわけではないけど(戦争は)起こってはいけないという思いは強くある」と語る。

浅岡さん自身も「戦後80年経っている。そういう記念すべき年。だから特別」と、今年のコンサートに込めた思いを説明した。

「死の灰」の歌声に込められた平和への祈り

今年のコンサートでメインプログラムとして選ばれたのは、原爆の恐ろしさと平和への祈りが込められた曲集「土の歌」だった。特に原爆を題材にした曲「死の灰」を歌い終えた後、会場には静寂が訪れ、浅岡さんの嗚咽が響いた。

「『死の灰』の所いまだに涙が出て止まらない。それほど戦争というのはむごいものだった」と浅岡さんは語る。

土の歌の締めくくりは「大地讃頌」。歴史の過ちを繰り返さない、平和への祈りを込めた歌だ。浅岡さんは「80年前はひどい戦争があった。そこで苦しんだ人たち亡くなった人たちのことを改めて思い出してくれたんじゃないか」と観客に語りかけた。

音楽を通して未来へ伝える戦争の記憶

コンサート終了後も、浅岡さんは教え子たちに自らの記憶を語り続けた。「いろいろ辛い思いをしてきた。まだ中学生なのにこっちへ疎開してきたら…」と当時を振り返る。

戦争の愚かさ、平和の尊さ…浅岡さんはこれらのメッセージを、愛する音楽に乗せて伝え続けている。「私は音楽があればこそ、それを与えてくれる人があればこそ、それを聞いてくれるたくさんの人がいればこそ、それがいる限り音楽をずっと続けると思う」と彼は力強く語った。

来年4月に95歳を迎える浅岡さんは、「来年も舞台に立ちますか?」という問いに「もちろんです!」と即答した。リサイタルの予定もすでに立てているという。戦争を経験した世代が減少していく中、浅岡さんの歌声と語りは、平和の尊さを次世代に伝える貴重な「生きた記録」となっている。

富山テレビ
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