23日のひめゆり塔などについて戦後80年を迎えてた今年、語り部たちの体験や証言の積み重ねを塗りつぶそうとするような言動が為政者たる国会議員から飛び交いました。
自らの戦争体験を語れる人が極めて少なくなる中で、こうした動きやいまの空気感を県民はどのように感じているのでしょうか。
修学旅行生や観光客などが多く訪れるひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館。今年はその中でも県民の姿が増えているそうです。
那覇市から訪れた母と娘:
80年ということで改めてこようと思って、学生時代に来た記憶はあるんですけど。同い年の子が戦争に向かったんだなと思います。やっぱり考えられないというか・・
那覇市から訪れた父娘:
おばが2人亡くなっているんですよ。「これが私の妹なんだよ」と教えてもらったのを何となく覚えていて、今年はいろんな意味でひめゆりが話題になることも多かったので。実際にひめゆりで生存した方もどんどん少なくなってきている中で、もう一回知ることが必要なのかなと思ってきました
ひめゆりの塔の説明は「歴史の書き換え」だと耳を疑う国会議員の発言に大きな衝撃が走りました
南風原町から訪れた人:
絶対に許せないと思っています。ちゃんと聴いてほしいですねもっと聴く耳、見る目を持ってほしいなと思っています
那覇市から訪れた母と娘:
あの方の言葉により、沖縄県の皆さんが怒った、憤りを感じたというのは沖縄のみなさんが仲間というか、同じ気持ちだなと思っていました
うるま市から訪れた人:
私の父のおばがひめゆり学徒で亡くななられているので、日米あわせて20万人以上のそれぞれの物語があったはず、亡くなった方たちもその人たちの生きてきた証を継承するためにはやっぱり間違った発言を強く否定して沖縄はこういった状況にあるんだよと伝えていかなければならないなと感じています
旧師範学校・中等学校21校に通い、14歳から18歳の身で戦場に学徒動員され命を落とした1984人。
亡き学友たちのため、今年も慰霊祭を開いた戦争体験者たちは・・
元梯梧学徒 吉川初枝さん(97):
目の前で亡くなる人もいたしね、戦争というものは元気な人もみんな一緒。分からない、もうみんなパアです。みんな戦争でやられているんだから
元県立農林学校 瀬名波榮喜さん(96):
人間の記憶というのは消えていく。真実が曲げて伝えられていくことが二度とあってはいけないと思う。歴史を蔑ろにするとどんどん間違った知識情報が創り上げられていく
翁長安子さん(95)(元・県立第一高等女学校):
戦争を起こすのも止めることが出来るのも人間さだから止めることが出来るような政治家を選んでほしいと訴えているわけ。やはり若い人たちは楽しみも良いけれど自分の権利を実行してほしい
元県立農林学校 渡口彦信さん(98):
戦争が済んだあと、戦争の話はしたくなかった。あまりにも惨めで、心が痛くなって。さらに学友戦友を失っているでしょ。その中で自分は生きているという罪を犯したような罪悪感があったわけよね。しかしながらやはり戦争というのはこういうものだと後世に伝えて戦争を無くさないといかん
「ありったけの地獄を集めた」と言われた沖縄戦。生き延びた元学徒の多くは、自分だけが生き残ってしまった自責の念から、長い間、その記憶を胸にしまい込んできました。
しかし、友人たちの無念の死を無駄にせず、二度と若者を戦場に送ってはならないという強い危機感から体験者は言葉を紡ぎ、平和へのバトンを託してきました。
ひめゆり平和祈念資料館もそうした思いや証言が積み重なった結晶です。
私たちもいま、揺らぐことのない沖縄戦の実相を学び直し、体験者が託してくれた平和への思いをまっすぐに受け継いでいかなくてはならなりません。
ひめゆりの塔からお伝えしました。