23日は、住民を巻き込み20万人余りが犠牲なった沖縄戦から80年となる「慰霊の日」です。戦争とは、平和とは何か?体験者から受け継いだ記憶を見つめなおし、私たちはどのような未来を選択するのか考える祈りの1日となりました。
「平和の詩」朗読 伊良波小学校6年 城間一歩輝さん:
毎年、ぼくと弟は慰霊の日におばあちゃんの家に行って仏壇に手を合わせウートートーをする 一年に一度だけおばあちゃんが歌う「うんじゅんわんにん艦砲ぬくぇーぬくさー」 沖縄戦の激しい艦砲射撃でケガをして生き残った人のことを「艦砲射撃の食べ残し」と言うことを知って悲しくなった
新里光子さん(80):
いつまでも見守ってくださいね。戦争で大変な苦労をしたんだよね。きょうは孫も一緒に来ました。いつでも会いたい。見たこともないお姉さんたちに会いたい
両親と兄弟を亡くした與那嶺栄昭さん(89):
これがお父さんお母さん、これは三男坊、これは四男坊、自分が次男。戦争が終わってからが苦しかった親もいないし、木の実を拾って食べて、同じ人間で殺し合いして何のためになるかなと思う
大城久子さん(87):
両親家族8人みんな遺骨も半分しかなくて石を拾って胸が痛いです
真栄城玄信さん(92):
2人の兄貴次男三男私は五男なんです。犠牲になってね
「平和の詩」朗読 伊良波小学校6年 城間一歩輝さん:
五歳のおばあちゃんが防空壕での歌を歌い 「艦砲射撃の食べ残し」と言われても生きてくれて本当に良かったと思った おばあちゃんに生きていてくれて本当にありがとうと伝えると 両手でぼくのほっぺをさわって 「生き延びたくとぅぬちぬちるがたん」 生き延びたから命がつながったんだねとおばあちゃんが言った
玉城デニー知事:
このあまりにも凄惨な沖縄戦の実相と教訓は、戦争体験者が心の傷を抱えながら、後世に伝えようと残した証言と、沖縄戦研究者のたゆまない努力によって、今日まで受け継がれてきました。これこそが私たち沖縄県民の平和を希求するこころの原点となっています
比嘉宇海さん:
沖縄に住んでるから少しは戦争について知っておいた方がいいかなと思って。もう戦争は起きてほしくないないな
河原徹さん・愛さん・子ども2人:
いまはまだ戦争が何かとか世界の情勢とかまだ理解するのは難しいと思うんですけど、たくさんの人が実際に戦争で亡くなった人たちの名前だよと伝えて。そしたら「このお名前は?」と聞いてくれて少しでも興味を持ってくれたのかな。今のこの時間が平和だね
「平和の詩」朗読 伊良波小学校6年 城間一歩輝さん:
人の命を奪い苦しめる戦争を 二度と起こさないように おばあちゃんから聞いた 戦争の話を伝え続けていく おばあちゃんが繋いでくれた 命を大切にして 一生懸命に生きていく
川上智香さん:
娘の方からきょうは行こうよって積極的に動いてくれたので
川上まひなさん(小4):
あさのラジオで糸満のここらへんの地域が最後の戦争をやった場所っていうのを知って、いまは新しくなっているけど80年前にどんなことがあったかを知りたくて。どんどん戦争のことを知っている人が少なくなっていくからそれをみんなでリレーみたいにしてつなげて話していきたいなって思いました