米国はついにイランに軍事介入して主要な核施設を破壊し、トランプ米大統領は「和平か、さらに悲惨な結末か」とイランに警告したが、殉教を尊ぶイスラム教シーア派を国教とするイランは、その圧力に屈するのだろうか。

シーア派指導者の殉教を悼む宗教行事「アシュラ」

私はかつてレバノン南部のシーア派教徒の多いナバティエという村で、「アシュラ」という宗教儀式を取材したことがある。「アシュラ」とはアラビア語やペルシャ語で「10」のことだ。

西暦680年のイスラム暦1月10日、イスラム教の後継者問題をめぐって預言者ムハンマドの孫のフサインが、時の支配勢力ウマイヤ王朝と現在のイラクのカルバラで戦ってフサインの部隊は全滅したが、その死を悼む信者が結集しシーア派が勢力を確立したといわれ、同派にとって最も重要な宗教行事なのだ。

この時、フサインが率いていた軍勢は本人を含めて72人だったとされ、一方のウマイヤ王朝軍は3万人ともいわれているので、戦わずして勝敗の行方は明白だった。王朝軍側の司令官も降伏を促したがフサインは応じず、王朝軍はフサインの戦士を一人一人殺害し、フサインは自ら最後の1人まで戦ったとされる。

イスラム教シーア派の宗教行事「アシュラ」(イラン南東部・2012年)
イスラム教シーア派の宗教行事「アシュラ」(イラン南東部・2012年)
この記事の画像(5枚)

シーア派によれば、フサインとその戦士たちはカルバラで「殉教」したわけで、アシュラでは教徒たちはがそれを悼んで行進するのが中心行事だ。

その行進だが、参加者は黒い衣服を着用し、フサインの死を悼む詩を唱和しながら、手にした鎖で自らの体を叩いて血だらけになったり、泣き叫んだりする異様な光景が展開される。フサインの「殉教」の苦痛を共感しようということのようだが、不測の事態も起きることがあるので、日本の外務省もこの時期はアシュラの行進には近づかないよう邦人社会に注意喚起をしている。

鎖で体を打つ人々(テヘラン・2013年)
鎖で体を打つ人々(テヘラン・2013年)

つまり「殉教」こそがイスラム教シーア派の原点で、教徒が尊ぶ価値と位置付けと言えるわけだが、イランはそのシーア派を国教として崇めている。人口約8000万人の90%がシーア派イスラム教徒で、イスラム共和国憲法は三権分立を規定しているが、実質的には宗教法学者の最高指導者が三権を掌握してイスラム教の教義に基づいて国を運営している。

ハメネイ師「殉教」を覚悟か?

そこで今回のイスラエルによるイランへの攻撃だが、すでにイスラエルは制空権を確保してイラン上空を自由に飛び交って空爆を行い、米国もその高性能地下爆弾「バンカーバスター」をはじめ最新鋭兵器でトランプ大統領が言ったように「標的を正確かつ迅速、そして巧みに攻撃することができる」わけで、イランはかつてカルバラの戦いを前にしたフサインの勢力同様に、負け戦を避けられない立場に追いやられた形だ。

イラン最高指導者・ハメネイ師
イラン最高指導者・ハメネイ師

こうした中で注目されたのが、イランの最高指導者ハメネイ師が後継者候補を3人選定したというニューヨーク・タイムズ紙の報道だ。それによると、ハメネイ師は自身が暗殺される可能性を認識しているということで、フサイン同様「殉教」を覚悟しているのではないかと思わせる。

フサインを殺害したウマイヤ王朝は、この戦いをきっかけに反体制運動の激化と内紛で衰退して滅亡するが、ハメネイ師は自らの「殉教」で米国の“トランプ王朝”に対するイスラム世界の糾弾を呼び起こし、その滅亡を期待しているのかもしれない。

「イラン核施設を完全に破壊した」と述べたトランプ氏(2025年6月21日)
「イラン核施設を完全に破壊した」と述べたトランプ氏(2025年6月21日)

また、ハメネイ師を亡き者にすれば、イランに民主的な政権が誕生する「政権転換」のきっかけになるという考えもイスラエルや米国にあるが、私が目撃した「アシュラ」の異様な光景を思い起こすと、それも淡い期待に終わるのではないかと考えるのだ。
(執筆:ジャーナリスト 木村太郎)

木村太郎
木村太郎

理屈は後から考える。それは、やはり民主主義とは思惟の多様性だと思うからです。考え方はいっぱいあった方がいい。違う見方を提示する役割、それが僕がやってきたことで、まだまだ世の中には必要なことなんじゃないかとは思っています。
アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレー出身。慶応義塾大学法学部卒業。
NHK記者を経験した後、フリージャーナリストに転身。フジテレビ系ニュース番組「ニュースJAPAN」や「FNNスーパーニュース」のコメンテーターを経て、現在は、フジテレビ系「Mr.サンデー」のコメンテーターを務める。