原爆死没者名簿に去年亡くなるまで40年という長きにわたり名前を記し続けた被爆者の池亀和子さん。先月、遺影を追悼平和祈念館に登録した遺族の思いを追いました。
去年8月、平和記念式典を翌日に控えた平和公園で慰霊碑を訪れる被爆者の姿がありました。
【故・池亀和子さん】
Q:どれくらいぶりですか?
「ずいぶんでしょうよ」
池亀和子さん、当時82歳。
体調がすぐれない中、最後に慰霊碑を訪れたのには理由があります。
この慰霊碑の下に眠っているのは広島で被爆して亡くなった34万人の被爆者の名前。うち9万人以上は、これまで池亀さんの手で書き記されたものです。
この大役を40年にわたって担いました。
【故・池亀和子さん】
「長年書いたという思い出ですね。(してきたことは)無駄ではなかったと思います」
池亀さんが慰霊碑を訪れるのはこれが最後になりました。
去年、平和記念式典を見届けた10日後、82年の生涯の閉じました。
その後、池亀さんの功績が称えられ広島市民賞が送られました。
池亀さんの遺影を手に参加したのは息子・和俊さんです。
【故・池亀和子さんの長男和俊さん】
「母は3歳で被爆したが、断片的な記憶しかなく、(体験を)伝えることができなかった。だから私にできることは書いて皆さんを供養する。それが1つの母の責任感、思いが原動力になったと思います。
その遺影を手に先月、和俊さんは追悼平和祈念館を訪れました。
池亀さんの両親・祖母と合わせて4人分の遺影を登録します。
池亀さんは託された、その責任を懸命に果たし、残された時間を平和のために費やしました。
あの日”母”が見ていた慰霊碑。
【池亀和俊さん】
「石室の中に母が書いたものがあるんだな。書いた字が母の気持ち、魂となって未来永劫残されることを祈っています」
中におさめられている名簿に今年は池亀さん自身の名前が刻まれることになります。
あと2か月余り、今年もまた8月6日を迎えます。