大相撲夏場所で2場所連続優勝を果たし、晴れて第75代横綱となった大の里関(24)。

8年ぶりに誕生した日本出身の横綱に、生まれ故郷の石川県津幡町では、駅構内の至る所に横綱昇進を祝う文字が。役場にも大きな垂れ幕が掲げられていました。

大の里関が小学校時代に通った少年相撲教室では、汗と泥にまみれながら稽古をする子どもたちの姿がありました。

高学年の時に指導したという、長井恒輝監督は当時をこう振り返ります。

津幡町少年相撲教室 長井恒輝 監督:
ここの練習場では、同じ力の子はいなかったので、僕に当たったりとか、監督に当たったり、大人に胸を出してもらうような稽古をよくしていた。よく泣きながら当たっていましたね。
(大の里関の横綱昇進)これを機に相撲教室に入る子っていうよりも、相撲に興味を持ってくれる人を増やしたいなと思っています。
今も変わらない恩師への“感謝”と後輩への“激励”
「サン!シャイン」は、もう一人、大の里関が十代の頃に深く関わった“恩師”を取材しました。
中学・高校の6年間大の里関を指導した、新潟県立海洋高校相撲部の田海哲也総監督。

新潟県立海洋高校相撲部 田海哲也総監督:
大の里は相撲大好きなんですよ。それで強くなりたいと、12歳の時に私のところに来たわけですよ。私が接していた6年間では、まったく弱音を吐いたり、そういうことがない生徒でしたね。

上京して、伝達式にも立ち会ったという田海総監督。会見の時の笑顔は、指導していた当時と今も変わっていなかったといいます。

新潟県立海洋高校相撲部 田海哲也総監督:
あれは、そのままの笑顔ですよ、少年の“中村泰輝” (大の里関)。あれを続けてほしいです。あれがファンに愛されるひとつだと思いますしね。
「おめでとう」って言って、「どうも」って。恵津子(田海総監督の妻)も、「おめでとう」って。(妻に向かって)「分からなかった、小さすぎて」っていう会話を2人でやっていました、いじってきましたよ(笑)。

大相撲の最高位にまで昇りつめた教え子。
田海総監督は、「サン!シャイン」に、総監督だけが知るエピソードを教えてくれました。

新潟県立海洋高校相撲部 田海哲也総監督:
たまたま6年生の時に、金沢で高校の全国大会があったんです。
中村少年(大の里関)がペンを持って、最前列で相撲を見て白星・黒星を、勝った負けたをつけているんですよ。「こんな好きなんだ、こんな小学生いるのか、こういう子は強くなるのにな」って。

――学校の勉強はできる方だった?
女房との会話を聞いている時に(大の里関は)社会が大好きだと、特に地理が好きだと。女房は「90点、100点とるくらいに得意なんだろうな」って。「(テスト)どうだったの?」って聞いたら、「50点とりました!ありがとうございます!」ってガッツポーズしていましたよ。あ~…そこが頂点だったのか~って(笑)

高校を卒業し角界入りした後も、大の里関は、恩師への感謝や後輩たちへの激励を忘れなかったといいます。

新潟県立海洋高校相撲部 田海哲也総監督:
やっと十両になって給料がもらえて。お米1tの差し入れをしてくれました。
プライベートで糸魚川まで来て、 焼き肉店貸し切ってコーチと生徒に「好きなだけ食べろ」みたいな。
自分のポケットマネーで、宮崎牛のA5ランクを段ボールで送ってきてくれて…、高校生はA5ランクの宮崎牛なんて食べたことないじゃないですか。いいやつなんですよ、すごい、いいやつなんですよ。

そんな田海総監督が、これから横綱という重責を担っていく教え子に向けて伝えたいこととは…。

新潟県立海洋高校相撲部 田海哲也総監督:
少年の心を持ち、強い横綱でもあり、みんなから本当に愛される、好かれる横綱を期待したいと思うし、なれると思っています。
(「サン!シャイン」 5月29日放送)